高遠城をゆく
高遠は古代から信濃国の交通の要衝で、高遠城は上伊那に侵攻した武田信玄によって1547年(天文16)に築城された。
城は南に三峰川、北に藤沢川が流れ、この二つの川が合流する段丘上に築かれた平山城である。
高遠城は、武田氏の軍事拠点として重きをなしたが、1582年(天正10)に、織田信忠軍の猛攻によつて落城した。
深い空堀と土塁に囲まれた城址には、明治維新後に移植された1500本以上の「タカトウコヒカンザクラ」におおわれ、長野県の天然記念物に指定されている。
問屋門と桜雲橋
本丸入口に建つ問屋門は、城門ではなく、宿場の人馬伝送・宿泊などの交通上の駅務を行う役人を置いた問屋にあった門で、タカトウ城下から、1948年(昭和23)に移築されたものである。
裏側から見た問屋門
桜雲橋下の堀
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