多多名城をゆく (たたなグスク) |
多々名城は丘陵上に築かれた城である。13世紀の末頃が、あるいは、14世紀の初期頃に、花城按司が築城したと言われ、築城した時は花城(はなぐすく)と言われたが、後に多々名城(たたなぐすく)と呼ばれるようになった。この地には現在玻名城の部落が存在していた。城の規模は、およそ33,000uもあり、本丸跡、二の丸跡、三の丸跡、御内原跡というように、各城郭で囲まれている連郭式の平山城形式の城である。多々名城については、おもろそうしに、13種類ほどのおもろがあり、そのおもろなどからして、代々の花城按司は、勢力を誇り繁栄していたであろうことがうかがえる。花城按司、多々名按司は、盛んに海外貿易を行い、素鉄を輸入しそれによって武器をつくり武力を高め、農具を作ってそれを領地の農民に配り農業を盛んにならしめた。その貿易港は、具志頭村糸満市の境界にいちする「ワタヤー」であった。 具志頭村教育委員会の説明看板から |