徳島城をゆく

徳島城は、徳島市の標高62mの渭山(いのやま)(猪山・城山)の山上と、その山麓に築かれた平山城である。渭山(猪山)城・渭津(いのつ)城ともよばれた。
1585年(天正13)、豊臣秀吉から阿波一国を与えられた蜂須賀家政は、一宮城(徳島市)に入り、中世の守護細川頼之(よりゆき)時代からの渭山城と、麓の寺島城を併せて本格的な築城を開始し、築城にあたっては、天下人「豊臣秀吉」の命により伊予の小早川隆景や土佐の長宗我部元親、比叡山の僧侶が協力し、翌年ほぼ完成して「徳島城」と改称し、城下を徳島と名づけた。
助任川(すけとうがわ)・福島川・寺島川等を天然の外堀とし、阿波水軍に相応しい堅城であった。
徳島城の構造は、山上の本丸・東二の丸・西二の丸・西三の丸・南麓の御殿・西麓には隠居した藩主等の住んだ西の丸からなる平山城である。
初代藩主蜂須賀至鎮(よししげ)の時、江戸幕府から阿波国を併せて25万7千石を拝領した。
その後、城も整備拡張して近代城郭となった。1875年(明治8)に解体され現在は、天守はないが石垣・堀の一部と表御殿庭園(国名勝)が残り、1989年(平成1)に「鷲の門」が復元された。
鷲の門
典雅な表門。間口7.78m・奥行3.21m・高さ7.3mの瓦葺総欅(そうけやき)造りの薬医門。
鷲を飼うという口実で建造されたともいう。明治の解体を免れた唯一の遺構だったが、1945年(昭和20)の戦災で焼失、1989年(平成1)に復元された。

徳島県のお城へ