養宜館(やぎやかた)をゆく

1340年(興国1・暦応3)、淡路守護細川師氏(もろうじ)が築き、守護の居館にしたというのが通説である。
1517年(永正14)、三好之長(ゆきなが)が淡路を攻略し、当主尚春(ひさはる)は敗れて和泉へ逃れた。
間もなく帰国したが、之長に殺害されてしまう。
1520年、尚春の子彦四郎は、細川高国に付属して之長軍を破り、降伏した之長を処刑したという。
現在も館跡には「義宜館跡」の石碑と周辺には大土塁や空堀が残されており、「大土居」とか「御土居」
とか呼ばれている。

兵庫県のお城へ