この城は柳生城の北方の山に存在し、地元では古城山と呼ばれています。名前からも分かるように、城が存在していました。
 今から600年前、後醍醐天皇が笠置に逃れた時に柳生永珍がその糧道を守るために作ったそうです。また、天文13年(1544)に筒井順昭の討伐を受けた際に、本城(柳生城)より先に落とされた外城に当たる城とも考えられます。この城は南麓には東西と南北に抜ける道路が通り、交通の要衝であることが分かります。また、古城山という名前から、古くは柳生氏の居城だったとも考えたいのですが、それはないでしょうね。4本の堀がはっきりと確認でき、尾根上に築かれた中世山城で、番城的な雰囲気があります。
山頂に向かう登り口
山頂に向かう道
山頂本丸跡  (訪れた時、一面わらび沢山群生していた)
空堀跡
山頂付近にある「剣塚」
古城山遠景
柳生の里は、東は梅渓月ヶ瀬へ、西は奈良市中心部に至るいわゆる柳生街道、  南は柳生旧陣屋跡へ、北は古城山、剣塚阿対の地蔵石仏を経て笠置に通じる昔の「殿様街道」です。現在古城山は「剣塚」で行き止まりになっています。
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柳生古城山城をゆく