西山宮
門跡
善峯寺
撮影 2006.12.02
比叡山の僧源算が長元2年(1029年)にこの地に小堂を建て、十一面千手観世音菩薩像を刻み本尊としたのが当寺の開創と伝えられている。源算47歳の時という。
 長元7年(1034年)に後一条天皇から善峯寺の寺号を賜り、鎮護国家の勅願所と定められた。以後、天皇の崇敬篤く、長久3年(1042年)には後朱雀天皇が鷲尾寺の十一面千手観世音菩薩像をここに移し、本尊として祀り、先の観世音菩薩像を脇立とされたといわれている。
 鎌倉時代には慈円大僧正や浄土宗西山派の祖、証空上人が、また、青蓮院の宮様が代々当寺の住職をされたので西山宮門跡と称されたという。
 白河天皇が諸堂を建設し、後に、後花園天皇が伽藍を改築、大いに栄えたが、応仁の乱により、これら全てを焼失したようである。その後、元禄年間に徳川五代将軍綱吉の生母、桂昌院の寄進により寺は復興したとされている