わたしたちのまち 桜井市


桜井市は、奈良盆地の東南部に位置し、太古の昔より政治、経済、文化の中心 として栄えて

きました。今は、自然と歴史と産業の町として少しずつ着実に未来へと歩み続 けています。


市章

由来

履中天皇の稚桜による説話とともに桜井の地名は「桜の井」とよばれる井戸 にはじまるといわれ、清水が今も湧き出ることで有名であり、それに因んで 桜 の花弁を図案化し、中心より大きくひろがった花びらは、若さと発展する 桜井 を表しています。




市の花

山桜
山桜は、遠く万葉、古今の詩歌に詠まれ、その数、百数十首に及んで
います。桜は、「桜井」の地名にゆかりが深く、日本書記に記されて
いる「磐余稚桜宮」に起因するものと伝承されています。この花は、
20数種類ある桜の中で、素朴な気品を漂わせ春の花として親しまれて
います。



市の木

杉は、古くから神木と呼ばれ、信仰の対象としても崇められています。
根は強く張りめぐり、幹は天をつくが如く直立し、年輪を重ねて巨木
となり、躍進する桜井市を象徴しています。この木は、常緑針葉樹で、
風致保全に適合し、市内でも多く造林され、その集散地として木都「
桜井」の名を高くしています。




桜井のいわれ

桜の井
桜井の地名は、大字谷にある「桜の井」とよばれる井戸にあるといわ
れています。日本書紀によれば履中天皇の三年十月、天皇は皇后とと
船を磐余市磯池(いわれいちしのいけ)に浮かべて遊宴されたみぎり
、たまたま膳臣余井磯(かしわであれし)なる人が献上した御盃に時
ならぬ桜の花びらが舞い落ちたのを不思議と思われ、花の咲いている
ところを尋ねられた際、腋上室山(わきがみむろやま)に咲いた桜で
あることがわかりました。帝は珍しい事と喜ばれ、桜に因んで宮の名
を「磐余稚桜宮」(いわれわかざくらのみや」と名付けられ、しかも
腋上室山から桜樹を等彌郷の清水湧き出づる泉のほとりに植えられ、
歳月移り変っても「桜の井の清泉」は今日なおこんこんとして尽きざ
るものがあるといわれています。これが今の桜の名の起こりであると
されています。




桜井の産業
木材
奈良県総面積の80%を占める森林。吉野はその中でも特に良質材を産出する ことで知られています。
桜井は古来山間部と平野を結ぶ出入口として交通路が発達し、物資とくに吉野 杉など良質木材の集散地
として、重要な役割を果たしてきました。明治の中期に入り鉄道の敷設にとも ない木材諸産業の活動も
一層盛んになり、“ 木材のまち 桜井”としてその名は全国に広まっています 。

三輪素麺
三輪は素麺の発祥の地で、機械を使わない手延べ製法と極寒づくりが今も守ら れ、全国の人々に愛好さ
れています。

皮革製品
高品質な野球グラブやミットの全国シェアは奈良県が80%を占め、桜井市内 の工場ではひとつひとつ
手作りで仕上げられています。野球用スパイクシューズやサッカー、ゴルフな どの専用シューズの生産
高も全国有数です。

桜井の観光
山の辺の道
三輪山の麓の金屋から天理・石上神宮へとつづく上古の道。

大神神社(三輪明神)
背後の三輪山を御神体とするわが国最古の神社。

安倍文殊院
日本三文殊の1つ。

長谷寺
真言宗豊山派の総本山として末寺三千余寺を数える西国三十三ヵ所第八番の札 所。

多武峯 談山神社
大化の改新に尽くした藤原鎌足公を奉る。関西の日光ともいわれ、桜、紅葉の 名所として名高い。


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