近撮_2007.1
このページには最近作を月ごとに撮影順に区分なしで掲示し、
掲載後に順次、「風景」「行事・祭」「花ごよみ」「桜」「鹿」などに区分して掲示します。
(取り急ぎにつき、ラージサイズにならないもの、コメントの無いものもありますが順次追加します)
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繞道祭_大神神社


[繞道祭1_大神神社]
新年の明けとともに行われる大神神社の繞道祭(にょうどうさい)。「ご神火まつり」とも称され、年初第一番に斎行される神事です。ご神火を3本の大松明に移し、氏子の若者がかつぎ、山麓に鎮座する摂末社18社の巡拝を走り回りながら行います。本殿奥で採火された松明を神官が担ぎ出し、待ち受ける氏子に渡される。
(2007.1.1)(桜井市)


[繞道祭2_大神神社]
(2007.1.1)(桜井市)


[繞道祭3_大神神社]
(2007.1.1)(桜井市)


[繞道祭4_大神神社]
(2007.1.1)(桜井市)


[繞道祭5_大神神社]
神官もいっしょにワッショイワッショイ。
(2007.1.1)(桜井市)


[繞道祭6_大神神社]
山麓に鎮座する摂末社18社をかけ声と太鼓を響かせ、走りながら巡拝されます。いちばん離れた桧原神社へは1キロ以上ありますが、真っ暗な山辺の道を行かれます。
(2007.1.1)(桜井市)


[繞道祭7_大神神社]
桧原神社でのご参拝。
(2007.1.1)(桜井市)

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篠原おどり


[篠原おどり_篠原天満神社]
大塔地区の一番山奥の篠原集落に伝わる伝統行事で、天満神社の初天神祭にこの篠原踊りが奉納されます。300年以上(一説には500年以上)も続けられているとのこと。男は太鼓を打ち、女は扇を持ち三曲舞います。総代さんの話によりますと、狼よけに奉納されたのが始まりとのこと。県指定無形民俗文化財に指定されています。篠原には以前は80戸ぐらいあったのが今ではわずか18戸だとか。
(2007.1.25)(五條市大塔)

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惣谷狂言



[お面_惣谷狂言]
惣谷地区で正月の神事始めに天神社での神事が行われますが、その奉納として、村人による狂言が古くから行われています。大正4年に演じられて以来途絶えていたものを、昭和33年に復活されたもので、県の無形民俗文化財に指定されています。「鬼狂言」「狐つり」「舟漕ぎ」「万才」「壺負い」「鳥刺し」「鐘引き」「かなぼうし」の8曲が伝えらており、毎年この内の2曲が奉納されています。しかし年々演じる人手が少なくなり今年は「鳥刺し」1曲のみでした。このお面は狐つり、鬼狂言に使われてきた古い面。
(2007.1.25)(五條市大塔)

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おんだ祭_平尾水分神社


[おんだ祭_平尾水分神社]
平尾水分神社のおんだ祭りは古式ゆかしく夜の境内で行われます。苗代作りから田植えに至る一連の作業をこと細かに演じられます。またその語りは江戸時代頃からの古い言葉で伝えられています。主役は大当と小当と呼ばれる一年交代の神主ですが、早乙女役は少年が演じ、「ショトメさん」と呼ばれています。この場面は一連の作業を終え、大当さんを先頭にショトメさんらが田植え唄を唄いながら舞台を回っているところ。その所作や語りが特徴的で、おんだ祭りとしては唯一県の無形民俗文化財に指定されています。
(2007.1.18)(宇陀市)


[田主_平尾水分神社]
田主役は大当と呼ばれ、一年交替の神主が勤められます。
(2007.1.18)(宇陀市)


[ショトメさん_平尾水分神社]
早乙女は男の子が演じ「ショトメさん」と言われています。神聖視され、控えの座敷から舞台までの行き来に地面に降りないように、爺さんたちが背負って運びます。手に持っているのは萱の茎に榊を挟んだもので、苗に見立ててあります。
(2007.1.18)(宇陀市)


[若宮さん_平尾水分神社]
一連の田植え作業の真ん中あたりの間炊(一服お休み)の頃に、「若宮さん」と呼ばれる黒い翁面の人形が登場します。人形にはたくさんのこよりが巻かれており、このこよりを参拝者の患部に当てれば直るというまじないとして与えられます。呪医的な役割ではないかと言われています。この机の裏に「延宝四年」(1676)との墨書きがありますから随分古くからのお祭りのようです。
(2007.1.18)(宇陀市)


[若宮さん還幸_平尾水分神社]
若宮さんは、このおんだ祭の時のみお出ましになり、普段は見ることはできません。役目を終え、ご還幸されるところ。大事に抱きかかえられて還られます。
(2007.1.18)(宇陀市)

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山焼き_若草山


[山焼き_若草山]
若草山の山焼きは奈良の春を告げる行事として親しまれています。遠くからもよく見え、長時間露光で全山が燃え、花火を添え、手前に社寺の堂塔を配する写真は定番になっています。あえて、山裾から撮影しました。下から上へ燃え上がっていく火の勢いと、見守る作業員を入れて。
若草山の山焼きの起源は、種々あるようですが、一般的には春日大社、興福寺、東大寺の領地争いが元だとのこと。別の説としては害虫を焼き払うためとか、春の芽生えを良くするための原始的な野焼きを伝えたものとも言われています。
(2007.1.13)(奈良市)


[点火式_若草山山焼き]
水谷(みずや)神社の近くで、10名の奈良法師が春日大社の聖火を松明に受けます。
(2007.1.13)(奈良市)


[聖火出発_若草山山焼き]
(2007.1.13)(奈良市)


[聖火行列_若草山山焼き]
祭典が行われる若草山の麓の野上神社まで、聖火の行列が進みます。春日大社の神官を先頭に奈良法師、後方に興福寺、東大寺の僧が続きます。
(2007.1.13)(奈良市)


[山焼き祭典_野上神社_若草山]
若草山の麓にある小さな野上神社で山焼きの祭典が行われます。奈良法師からの聖火が篝火に移され、春日大社の神官による、山焼きの無事を祈る祭典が行われます。興福寺、東大寺の僧もお祓いを受けられます。まさに神仏混淆の風景でもあります。
(2007.1.13)(奈良市)


[採火_野上神社_若草山山焼き]
祭典を終え、篝火から再び三社寺の神官、僧により採火され、いよいよ若草山の大篝火に点火されます。採火されているのは、手前より、春日大社、東大寺、興福寺。領地争いの説のなごりでしょうか。
(2007.1.13)(奈良市)


[大篝火と奈良法師_若草山山焼き]
大篝火に点火されると同時に、号令のラッパが鳴らされ、花火が始まります。この大篝火から消防団員などが若草山に生えるススキなど枯れ草に点火していきます。奈良法師も点火の様子を見守っています。(2007.1.13)(奈良市)

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弓祝式_烏川神社


[千破美の踊り_弓祝式_烏川神社]
その昔、この地に悪魔が徘徊しだした時、弓の名人・東弥惣(ひがしやそう)は「白山大権現」の神力にすがり、その悪魔を弓矢で退治した。喜ぶ村人に、弥惣は「悪魔は山の主である。今後村に祟りをもたらすかもしれない。毎年正月9日を祭り日とし、悪魔降伏を行え」と告げました。以降1月9日に弥惣の追善とともに、弓打ちの神事を行うようになった。1000年以上も続く伝統行事。3人の射手が運川寺から谷川を挟んで40mの烏川神社境内に立てられた的に向かって射ます。その後、白頭巾白装束の宮守が古式にのっとり、桑弓、蓬矢で東西南北天地を射、最後に鬼と書いた的を射ます。そして「千破美(ちわみ)の踊り」で鬼を倒した喜びを表します。(2007.1.9)(川上村)

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綱掛_栢森


[綱掛_綱編_栢森]
明日香の稲淵の男綱に対して、栢森は女綱。それぞれにそのシンボルを取り付けられます。朝から村の作業場で70メートルぐらいの綱が編まれます。夕方の日差しが差し込む頃に仕上がり、これから村の入り口の飛鳥川に運ばれます。(2007.1.12)(明日香村)


[綱掛_祈祷_栢森]
栢森の綱掛はめずらしく仏事で行われます。福石の前での祈祷の後、道、谷、田の上をまたぐように掛けられます。(2007.1.12)(明日香村)

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おんだ祭_植槻八幡神社


[おんだ祭_植槻八幡神社1]
年始早々に行われるおんだ祭。翁、田男が松苗や五穀を蒔いたり、田植えを再現します。神官を先頭に黒牛を引き本殿の回りを2周回ります。古い絵馬にもおんだ祭が描かれており古くから伝わる行事。
ここ植槻八幡神社の創建は不詳とのことですが、平城京遷都の祭に都の裏鬼門に当たることから裏鬼門勧請されたのではないかと言われているようです。本殿は江戸時代造営の一間社春日造。
(2007.1.7)(大和郡山市)


[おんだ祭_植槻八幡神社2]
(2007.1.7)(大和郡山市)

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綱打_椣原


[綱撚り_綱打_椣原]
椣原(しではら)で年頭の3日に勧請綱掛け行事が行われます。金勝寺境内で綱を錬り、奉納の後、龍田川に張り渡されます。龍を表すという綱は30メートルほどの男綱と10メートルほどの女綱で規模も大きく、古い形式を保っている。
旧村の椣原だけでは人手も少なくなり、新興住宅街の人も保存会に加わっての行事。早朝から綱を撚っていかれます。
(2007.1.3)(平群町)


[ほうでん_綱打_椣原]
男綱(おんずな)の中央部に、「ほうでん(男根)」を撚りこんで仕上がり。年配の方がその作り方などを伝承しながら作業。ほうでん用の藁は餅米の藁を使われ、御神酒をかけながら作られます。

(2007.1.3)(平群町)



[人柱心棒_綱打_椣原]
出来上がった綱を、当たり年の人を人柱心棒にして男綱、女綱を、ぐるぐる巻きにしていきます。
(2007.1.3)(平群町)


[祝うたろ_綱打_椣原]
100キロ以上はあろう綱の固まりを藁を敷き詰めた場へ横転させ、祝い事のあった男衆の上を転がします。(昨今では特に祝い事のあった方に限らず健康を祈って)年寄り、子供にはやさしく、若者には荒々しく上にまたがったりしてころがします。以前は「祝うたろ、祝うたろ」と囃していたそうです。
この後、近くの龍田川まで運び、勧請綱掛が行われます。
(2007.1.3)(平群町)

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[蝋梅_明日香]
鮮やかな黄色で花の少ないこの時期に「春」の訪れの印象の強い花です。八釣集落の大和屋根の民家のあたりで。蝋梅と言いますが、梅の仲間ではありません。蝋細工のような厚みのある艶やかな花びらからの名付けだと思われます。正確にはソシンロウバイと言います。
(2007.1.18)(明日香村)

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[冬野_明日香]
新年にあたり、お百姓さんの豊作への感謝と願いでしょうか、稲藁を積んだ「ススキ」に注連縄が張られてありました。
稲藁をこのように干してあるのを河内地方では「ススキ」と言っていたように記憶しますが、大和ではなんと言うのでしょうか、聞いてみることにします。
(2007.1.18)(明日香村)


[元旦_薬師寺]
初日の出もよろしいが、静かな夜明けも好きです。深紅の太陽は望めませんが、空が薄紅に染まり始め、靄がたち水鳥が休む大池を染めて行きます。双塔も朝日を受けはじめ、いっそう凛として。
(2007.1.1)(奈良市)


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