近撮_2007.9
このページには最近作を月ごとに撮影順に区分なしで掲示し、
掲載後に順次、「風景」「行事・祭」「花ごよみ」「桜」「鹿」などに区分して掲示します。
(取り急ぎにつき、ラージサイズにならないもの、コメントの無いものもありますが順次追加します)
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[管絃船(龍頭)_采女祭]
采女(うねめ)祭は中秋の名月の日に行われます。采女とは帝の給仕をする女官のことで、この采女が帝の寵愛が薄れたのを嘆き猿沢の池に入水した、その霊を慰めるためにここに社を建てたが、采女の霊が我が身を投じた池を見るにしのびないと一夜のうちに社を後ろ向きにした、という伝説があります。秋の七草で作った花扇の奉納神事の後、雅楽の流れる中、龍頭、鷁首(げきす)の二艘の船が池をめぐり、最後に花扇を池に投じるという雅びやかな行事。(2007.9.25)(奈良市)


[管絃船(鷁首)_采女祭]
(2007.9.25)(奈良市)


[花扇使_采女祭]
(2007.9.25)(奈良市)


[流し灯籠_采女祭]
(2007.9.25)(奈良市)


[十七夜盆踊り1_二月堂]
毎月17日は観音様の縁日、特に旧暦の8月17日は「十七夜」と呼ばれ各地の霊場で様々の法要が行われています。ここ東大寺の二月堂でも堂内外に願い事を書いた灯籠が置かれ、萬灯明をともし、十七夜法要が行われます。この日、二月堂、三月堂、四月堂の前の広場で大盆踊り大会が開かれます。
(2007.9.17)(奈良市)


[十七夜盆踊り2_二月堂]
この盆踊りは9月に行われることから昔から踊り納め、踊りじまいなどとも呼ばれ文字通り今年度の最後の盆踊りということで、関西の各地から大勢集まられます。各地のセミプロのような出で立ちから地元の方、観光客も混ざり境内は人であふれます。踊りの輪もいつの間にか5個ぐらいになってました。
(2007.9.17)(奈良市)


[十七夜盆踊り3_二月堂]
音頭は「河内音頭」「江州音頭」が主で、一流どころが音頭をとります。踊りもおしあいへしあい状態ですが動きも結構大きく、踊り手、派手な法被の動きがエネルギッシュです。
(2007.9.17)(奈良市)


[十七夜盆踊り4_二月堂]
(2007.9.17)(奈良市)


[観月祭_斑鳩上宮遺跡公園]
「太子ロマン斑鳩の里・観月祭」と名付けて能楽が行われています。金剛流発祥の地ということで、金剛流による能楽。能楽堂などで行われるものより気楽に見れてありがたいことです。おりしもお月さんも顔を出し、雰囲気もなかなかのものでした。
(2007.9.22)(斑鳩町)


[土蜘蛛_観月祭]
今年の曲目は「土蜘蛛」でした。
(2007.9.22)(斑鳩町)


[千本杵搗き_東川]
東川(うのかわ)の烏川(からすがわ)神社の豊饒祭の日、子供の成長を祝う餅搗きが行われます。子供の数も少なくなっていますが、この日は村人総出、里帰りの人も交え賑わいます。長い杉に奉幣や花飾りをつけた杵が各家から持ち寄られます。ヨイソラ、ヨイソラのかけ声と、石搗き唄が静かな山間にひびき渡っていました。搗いた餅はお返しに杵に結びつけ持ち帰られます。残りはこの後の餅撒き大会に使われます。
(2007.9.17)(川上村)


[祭の親子_東川]
昔は子供だけで搗いていたとか。今では子供の数も少なく、親子で搗いておられます。子供の神妙な顔、この子らが大きくなっても杵搗きが続きますように。
(2007.9.17)(川上村)


[すすき提灯宮入り_東阿田]
東阿田の八幡神社の秋祭に先立ち、すすき提灯(十二振り提灯)の献灯が八朔の夜、芋名月の夜、宵宮と3回行われます。当屋さんの家から2基を太鼓を打ちながら村道を経て神社へ。神社では当屋さんだけが灯明を上げてお参りされ、村人は境内で談笑されているだけ。小一時間経ったところで、お下がりのご飯、おかずを当屋さんから手のひらに直接配られ、村人たちはそれを戴きます。
(2007.9.14)(五條市)


[祭終えて_東阿田]
すすき提灯の献灯が終わり、散会されるときには、各自提灯を両手に神社から当屋さんの家まで戻られます。
(2007.9.14)(五條市)


[修験道まつり1_松尾寺]
日本最古の厄除霊場、厄除祈祷の松尾寺は、718年天武天皇の皇子舎人の親王が日本書紀を編纂の時42才の厄年であったので、日本書紀の無事完成と厄除けの願いをかけて建立されたという。松尾大明神を祀る松尾神社や修験道の縁も深く神仏混淆の古刹でもあります。修験道まつりのこの日には柴燈護摩が焚かれます。上に見えるのは三重の塔。
(2007.9.2)(大和郡山市)


[修験道まつり2_松尾寺]
ご本尊の厄除観音は、千の手と千の眼を持つ千手千眼観世音菩薩(秘仏)で霊験あらたかといわれ、年中厄除けの参詣者が訪れる。重要文化財も多く、役行者の像は木像では日本一の大きさと言われ、その表情も他ではあまり見ない笑みを浮かべた表情をされている。弘法太子の作といわれる大黒天立像は馴染みのある表情とはこれまた違って凛々しい顔立ちでありました。百日紅が満開。

(2007.9.2)(大和郡山市)



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