近撮_2010.2
このページには最近作を月ごとに撮影順に区分なしで掲示し、
掲載後に順次、「風景」「行事・祭」「花ごよみ」「桜」「鹿」などに区分して掲示します。
(取り急ぎにつき、ラージサイズにならないもの、コメントの無いものもありますが順次追加します)
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国栖奏_浄見原神社

吉野川上流の崖淵に鎮座する浄見原(きよみはら)神社で古式ゆかしく行われる国栖奏(くずそう)。右手に鈴、左手に榊を持った舞翁が朗々とした歌翁の謡や「エンエー」(延栄の意とか)の声にあわせて古式ゆかしく舞います。応神天皇が吉野を訪れたときに国栖(くず)地方の人が一夜酒を作り歌い踊ったという故事にちなんだ伝統行事で古代をよみがえらすような素朴な舞。神饌に腹赤の魚(うぐい)やアカガエルが供えられます。古代のご馳走だったとか。県指定無形民俗文化財。


[舞翁_国栖奏]

(2010.2.27)(吉野町)


[笑いの古風_国栖奏]

謡翁の謡出しにより壱歌から四歌まで舞われますが、最後のところ一瞬仰ぎて笑う所作があります。これは天皇の弥栄を念じ又寿福を招くといわれ、古代より国栖の古風と呼ばれています。(国栖奏保存会資料より)
(2010.2.27)(吉野町)


[お祓い_国栖奏]

参殿の前に舞翁、奏楽者はお祓いを受けられます。
(2010.2.27)(吉野町)


[浄見原神社_国栖奏]

(2010.2.27)(吉野町)


[天皇の軸と神饌_国栖奏]

国栖奏伝習所には天皇の軸と神饌が供えられます。この神饌は「スズリブタ」といわれ鶴亀も添えられています。
(2010.2.27)(吉野町)

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御朝拝式_金剛寺

後亀山天皇が吉野に復興した後南朝期。帝位の再興を伺っていた自天王が川上村にて暗殺され、遂に後南朝も終焉。その悲運の自天王を偲ぶ御朝拝式が川上村では550年途絶えることなく護持されています。歴史的には旧北山郷、川上郷の何カ所かで行われてきたようですが、近年までは由緒あると伝わる神之谷の金剛寺と高原の福源寺の二カ所で行われてきました。筋目衆と呼ばれる継承者の減少や高齢化などから550年祭から一本化されました。
(2010.2.5)(川上村)


[参拝_御朝拝式]


[御廟へ_御朝拝式]

(2010.2.5)(川上村)


[式場_御朝拝式]

(2010.2.5)(川上村)

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綱掛け祭_長谷寺三社権現

長谷寺の本堂東北の一段高いところに鎮座する三社権現。長谷寺創建より古く、天平五年(733年)に聖武天皇の勅命で創建したと伝えられ、東に石蔵権現(地蔵菩薩)、中央に瀧蔵権現(虚空蔵菩薩)、西は新宮権現(薬師如来)を祀っている。旧暦1月11日、上の郷(中谷、柏森)、中の郷(各枝、柳)、下の郷(柳原、出雲)の六ケ大字の講衆が集まり神殿に注連縄を飾って綱懸け祭が営まれる。残された記録から300年以上の歴史があります。


[綱掛け祭_長谷寺三社権現]

それぞれの郷で編まれた大きな注連縄が神殿に掛けられます。東と中央の注連縄は向かって左側に先を、西の新宮権現だけが先を右側にして掛けられます。
(2010.2.24)(桜井市)


[法要_綱掛け祭_長谷寺三社権現]

祭事は長谷寺の僧侶により執り行われます。僧侶が神社に向かって般若心経など念仏を唱えられますが、権現は仏の化身であるという思想から来ているようで神仏習合の典型のように思われます。
(2010.2.24)(桜井市)


[牛玉宝印_綱掛け祭_長谷寺三社権現]

神妙に牛玉宝印を額に受ける子。三つの郷から一人ずつトウニンという役が当たり長谷寺補任状を授かります。トウニンはそれぞれの郷の中の当番大字の当屋さんの長男と決められています。今年は中の郷からは子供さんが勤められました。
(2010.2.24)(桜井市)

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鬼追い式_信貴山

節分に行われる星祭大法要の終わった頃、赤鬼、青鬼が6匹が賽銭箱を乗り越えて本堂になだれ込んできます。住職や参拝者に豆をかけられ追い出され、追われた鬼たちは山内の宿坊でも暴れ廻り、その後、村々の家にも暴れ込みます。迎えた家では「鬼は外」と追い返し、後ろから来るお福さん(吉祥天女(きちじょうてんにょ))から福豆を授かります。


[鬼追い式1_信貴山]

賽銭箱を乗り越えて乱入する鬼。
(2010.2.3)(平群町)


[鬼追い式2_信貴山]

山内の宿坊にも乱入。
(2010.2.3)(平群町)


[鬼追い式3_信貴山]

「鬼が来たぞ〜鬼が来たぞ〜」と叫びながら村の家々を巡ります。
(2010.2.3)(平群町)


[鬼追い式4_信貴山]

子供達の居る家ではガオ〜と大暴れ。ほんとに怖がって泣き出す子も。
(2010.2.3)(平群町)


[鬼追い式5_信貴山]

鬼を追い出た後、後ろから来るお福さん(吉祥天女(きちじょうてんにょ))から福豆を授かります。
(2010.2.3)(平群町)

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だだおし_長谷寺

長谷寺で修二会(しゅにえ)の締めくくりに行われる追儺会(ついなえ)。法要も終わりに近づいた頃、大きな赤、青、緑の三匹の鬼が堂内に暴れ込んできます。法螺貝(ほらがい) や太鼓が打ち鳴らされる中、追い出された鬼たちは大きな松明に追われて本堂、 礼堂(らいどう)の周りの舞台や欄干を暴れながら走り回ります。男衆が担ぐ松明は一丈五尺(約4.5m)三十貫(約110kg)という大きなものです。


[だだおし_長谷寺]

(2010.2.14)(桜井市)

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砂かけ祭_広瀬神社

奈良盆地の川が集まるこの地は昔から広瀬のと称され、水神を祀る広瀬神社があります。広瀬神社の「おんだ祭」は「砂かけ祭」と言われ、田人役、牛役、参拝者が所作の終わる度に砂をかけ合います。この砂は雨を意味し、かけ合いが盛んなほど豊作が適うとされ、老若男女入り乱れての合戦となります。大和の奇祭のひとつとして有名です。


[砂かけ祭1_広瀬神社]

今年は遷都1300年祭ということで賑やかに行われる予定でしたが、あいにくの雨模様で難儀でした。砂かけというより泥かけ状態でした。
(2010.2.11)(河合町)

撮った時の苦労や裏話はしないことにしてますが、カメラはオーバーホール行きでございます。( ;_;)


[砂かけ祭2_広瀬神社]

(2010.2.11)(河合町)

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お田植祭_手向山八幡宮

古くから継承されているお田植えの儀で、巫女、牛童(うしわらわ)、翁面の田主らが境内をお渡りしたあと、拝殿を稲田とみなして農耕作業を演じます。神官が田主となり格調高い口上で始まり、めでたい語りで耕し始める古式ゆかしい行事で、奈良県に沢山あるお田植え祭りの中でも能楽形式で行われるなど原型を多く残していると言われています。


[御田植祭1_手向山八幡宮]

境内をお渡り。氏子役員さん達が御田植の口上を唱えながら続きます。
(2010.2.3)(奈良市)


[御田植祭2_手向山八幡宮]

水口祭も行われます。拝殿の向こう側で行われますので少し見にくいですが、若松を立て豆、切り餅、籾種を供えられます。この時に鼓を打たれるのは珍しく古式らしいものです。鼓を打つのは「気」を入れる意味があるのでしょうか。
(2010.2.3)(奈良市)


[御田植祭3_手向山八幡宮]

牛童は氏子の中から選ばれた子供が演じます。他所のオンダ祭に比し行儀良くておとなしいです。田主に連れられ田植えの所作を行い、時々「モ〜」と発します。
(2010.2.3)(奈良市)


[御田植祭4_手向山八幡宮]

東西南北の田に種を撒き、最後に「日本全国の田に福の種を撒こう」と参拝者の方を向いて種を撒かれます。桶に人形がつけてあるのは厄除けの意味もあるのでしょうか。なおこの桶はには「文政」の年号があります。
(2010.2.3)(奈良市)

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おんだ祭_大神神社

大神神社のおんだ祭は豊年講大祭の中で行われます。古式に則り田作男が木型の牛や鍬などを使った一連の所作のあと、巫女が早乙女役となり松苗で田植えの所作が行われます。田作男が牛を引き出すあたりからおもしろおかしく名演技で行われます。


[おんだ祭1_大神神社]

三つ又の木型の牛はめずらしく、田作男がおもしろおかしく操ります。
(2010.2.6)(桜井市)


[おんだ祭2_大神神社]

巫女さんに角をなでられ、「牛も元気出るわなあ」とか田作男と参拝者の間でのかけあいなども名物になっています。
(2010.2.6)(桜井市)


[おんだ祭3_大神神社]

竹の棒で苗代をならす所作なども古式に則りていねいに行われます。
(2010.2.6)(桜井市)

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おんだ祭_大和神社

大和神社のおんだ祭は子供中心に行われます。実際の牛耕や田の作業など見たこともない世代ですので、大人に教えてもらいながら大まじめにやっています。


[おんだ祭_大和神社]

大人の田男が畦塗りなどもされますが、途中で亀が土の中から這い出すという設定。数年前からの新しい演出だと思われます。小学生も見学に来ていました。
(2010.2.10)(天理市)

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おんだ祭_和爾下神社



[おんだ祭_和爾下神社]

村役さんだけの素朴なおんだ祭
(2010.2.1)(天理市)


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