近撮_2011.1
このページには最近作を月ごとに撮影順に区分なしで掲示し、
掲載後に順次、「風景」「行事・祭」「花ごよみ」「桜」「鹿」などに区分して掲示します。
(取り急ぎにつき、ラージサイズにならないもの、コメントの無いものもありますが順次追加します)
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篠原踊り

大塔町の一番山奥の篠原集落に伝わる伝統行事で、天満神社の初天神祭に奉納されます。300年以上(一説には500年以上)も続けられているとのこと。伝わる唄は40曲ぐらいあるそうですが、最近は「梅の古木」「宝」「世の中」の3曲を舞います。男は太鼓を打ち、女は扇を持ち舞います。この舞は狼よけに奉納されたのではと伝わっていますが、神の使いとされるオオカミのおかげでイノシシや猿などの食害から作物が守られたことによる感謝の舞だという説もあるようです。篠原には以前は80戸ぐらいあったのが今ではわずか15戸ぐらいだとか。
県指定無形民俗文化財


[篠原踊り_篠原]
昨年は男3人、女3人でしたが、今年は男2人、女2人でした。女の方はお一人が家族にご不幸があって祭りには出られません。男の方はお一人が山仕事で怪我をなさったそうです。今年は中止することも考えられたそうですが、なんとか4人で行われました。昔は境内いっぱいに若い娘さんらも踊っていたそうです。
唄は独特の節回しで、女性の踊りはゆったりと、男性は太鼓で調子を取るように舞います。
(2011.1.25)(五條市大塔町)


[踊り子さん_篠原踊り_篠原]
祭りの始まる頃、集落から一段と高い山中の天満神社へ村人たちが上がってこられます。踊りに参加される女性お2人も和服に下駄履きで雪の参道を上がってこられました。
(2011.1.25)(五條市大塔町)

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惣谷狂言

惣谷地区で正月の神事始めに天神社での神事が行われますが、その奉納として、村人による正月狂言が古くから行われています。大正4年に演じられて以来途絶えていたものを、昭和33年に復活されたもので「鬼狂言」「狐つり」「舟漕ぎ」「万才」「壺負い」「鳥刺し」「鐘引き」「かなぼうし」の8曲が伝えらています。
県指定無形民俗文化財


[惣谷狂言_惣谷]
年々演じる人手が少なくなり今年は「壺負い」1曲のみでした。舞台には餅花とウラジロが飾られています。
(2011.1.25)(五條市大塔町)


[祭りの帰り道_惣谷]
祭りが終わると、舞台に飾ってあった餅花をいただき、御供撒きの餅を手に村人たちは帰っていかれます。
(2011.1.25)(五條市大塔町)

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狐の施行(せんぎょ)_阪本

一年の内の一番寒い「寒」の前後の時期に行われてきた「狐の施行(せんぎょ)」。狐は化かすなど悪名もありますが、狐は神の案内役、神の使いと言われたり、また害獣を駆除してくれるなど農耕集落では崇めてきたようでもあります。寒いこの時期は餌も少ないので狐に施しをとの行事。多くの地域では大人による行事ですが、ここ阪本では子供たちが行います。以前は4カ所の垣内がそれぞれにその垣内内を廻ったそうです。今では全部をあわせて一つにして、3つの垣内、市場、隧道、宇井野を廻っています。


[狐の施行1_阪本]

14才までの子供が参加します。昔は夜に行われていましたが、今では子供も少なくなり危険もあり昼に行われています。
道中、リーダーの声に続き、
「せ〜んぎょ、せんぎょ、きつねのせんぎょ、あずきめしもそえてある、おいなりさんもそえてある」
「せ〜んぎょ、せんぎょ、いちばのせんぎょ、あずきめしもそえてある、おいなりさんもそえてある」
と元気よく発声しながら進みます。
(2011.1.29)(五條市大塔町)



[狐の施行2_阪本]
狐への施行は赤飯のおにぎり二つと油揚げの切ったもの。道の角など20カ所ぐらいに置いていきます。
(2011.1.29)(五條市大塔町)

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おこない_金龍寺

新年の初祈祷で「おこない」と言われる行事が都祁地区などで広く行われています。読経の途中で僧侶が「らんじょう」と発せられると、檀家衆が一斉にうるし棒を板に激しく叩きます。地区の安全や五穀豊穣、虫除け、魔除けの意味があるようです。地域により、藤蔓や柳などが使われたり、お堂の外で廊下などを叩くなど様式も様々なものが見られます。


[らんじょう1_金龍寺]
華厳宗東大寺末寺金龍寺の本堂の構造は他にあまり見ない様式になっています。内陣、須弥壇が二階にあります。僧侶が錫杖を突き、発する「敬って申す〜らんじょう」を合図に檀家衆が一斉に激しくうるし棒を板に叩きつけます。しばらくして引き続き読経、また「らんじょう」と二度行われます。「らんじょう」は「だんじょう」だったり漢字では「乱声」と書かれたりしますが、地域により違いもあります。
(2011.1.23)(奈良市都祁馬場町)


[らんじょう2_金龍寺]
檀家衆25人ぐらいで一斉にうるし棒を叩く激しさは凄まじいもので同時に叩く太鼓の音も聞こえないほど。うるし棒は折れたり砕けたりで堂内に散乱。別に供えられた太めのうるし棒に牛玉法印を押された半紙を挟んで持ち帰り、春の苗代に花などを添え水口祭をされます。
(2011.1.23)(奈良市都祁馬場町)

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山焼き_若草山

奈良の春を告げる行事として親しまれている山焼き。麓の野上神社で春日大社の神官、興福寺、東大寺の僧侶、金峯山寺の修験者による神事が行われ、点火されます。遠くからもよく見えますが、近くで見るのもまた迫力があります。山麓で行われる行事も見るべきものがあります。起源に諸説ありますが、三社寺の説によれば、山頂にある鶯塚古墳の霊魂を鎮める祭礼とのこと。
花火が打ち上げられた後にトンドの火から消防団が手松明に移し一斉に枯れ草に点火。下から上へ一気に燃え上がっていきます。


[松明点火_若草山]
春日大社、興福寺の僧侶、春日大社の神官、金峯山寺の修験者、僧兵が見守る中、水谷茶屋の前で春日大社の聖火を松明に点火され若草山に運ばれます。
(2011.1.22)(奈良市)


[祭典_野神神社]
若草山の山麓の野神神社で残照の中、松明の灯りのもとに春日大社、興福寺、東大寺、金峯山寺の神官、僧侶により祭典が執り行われます。祭典の後、松明により山麓の大トンドへ点火されます。
(2011.1.22)(奈良市)

(2007年の山焼き)


[山焼き_若草山]
長時間露光で全山が燃え、花火を添え、手前に社寺の堂塔を配する写真は定番になっています。あえて、山裾から撮影しました。下から上へ燃え上がっていく火の勢いと、見守る作業員を入れて。
(2007.1.13)(奈良市)

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左義長_吉祥草寺

1月15日の小正月の前夜や当日に、正月に歳神を迎えるために飾った注連縄や門松を燃やし、歳神を見送ると言う意味があると考えられます。地方によって燃やすものも様々、呼び名も様々なようです。ここ吉祥草寺では大きな二対のトンドを燃やします。


[左義長_吉祥草寺]
茅原の左義長は雄雌1対の大トンドを燃やします。高さ約6m、炎が上がると10メートル以上になり壮観。最上部には「ハチマキ」と称する化粧縄が巻きつけられている。吉祥草寺の修正会が結願を迎えるこの日に行われます。境内は人であふれます。
(2011.1.14)(御所市)


[おけら_左義長_吉祥草寺]
ご神火から手縄に火をもらい家に持ち帰り、正月や小正月に雑煮や小豆ご飯などを焚く種火にする風習は多くの地域に伝わっているようです。「おけら」と呼ばれ、クルクル回したりしながら子供達も持ち帰っていきました。
(2011.1.14)(御所市)

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弓始め_奈良豆比古神社

奈良大和には弓矢祭、弓打ち、弓始めなど弓矢を使う行事が多く見られます。いずれも悪魔払い、五穀豊穣、無病息災などを祈るものであります。奈良豆比古神社の弓始めは700年以上の伝統があります。祈祷の後、神主が拝殿の四隅から柳で作った弓で矢を射ます。この日は宮座の新年の会でもあり、宮座の約100人による直会が行われ、あわせて、一老、二老、三老と呼ばれる長老を前に今年に初老、中老になられた方の紹介があり、続いて長老方はじめ一同の長寿を祈り「尉と姥(じょうとうば)献上」が行われます。


[弓始式_奈良豆比古神社]
(2011.1.23)(奈良市)


[尉と姥(じょうとうば)献上_奈良豆比古神社宮座行事]
拝殿で供えられた「尉と姥(じょうとうば)」と「鮭を、♪はや住吉に着きにけり〜♪、とめでたい謡の中を奉行という下働き役の方により、うやうやしく献上されます。長老は終身で今年は二老、三老さんが療養中とのことでお一人だけでした。
(2011.1.23)(奈良市)


[尉と姥_奈良豆比古神社宮座行事]
献上される「尉と姥(じょうとうば)」。昆布の上に雪、岩、梅、松をかたどり、翁媼の一刀彫りの人形が飾られています。
(2011.1.23)(奈良市)


[鮭_奈良豆比古神社宮座行事]
献上される「」。あれっと思うかたちの鮭、これは三尾の鮭を切り身にして、頭と尾をひとつにして一尾のように盛られています。
(2011.1.23)(奈良市)

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鬼打ち_秋留神社

生駒の南に位置する三郷町。ここ勢野の秋留八幡神社では340年前から古式ゆかしく伝えられる「鬼打ち」儀式が面々と続けられています。儀式を祭事するのは代々の座の男長子が務める衣冠装束姿の一老、二老、三老。一老は神撰および弓、白羽矢七本を神に捧げ祝詞を奏上します。二老から弓矢を受け取り、天、地、東、西、南、北に矢を放ちます。三老はこの矢を集め、最後に「鬼」標的を射抜いて氏子の平和と幸福を祈念します。(三郷町教育委員会資料より抜粋)


[鬼打ち_秋留神社]
見事的中。鬼的神饌はブリの頭にお神酒、塩、モチと井げた重ねしたダイコンを供えます。弓は「もろんじょ」と呼ばれるムロ(榁)の木で矢はススンボ竹。
(2011.1.16)(三郷町)

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弓打ち_藤井

正月に矢を放つ鬼打ち行事。藤井町の三十八神社では村の男達が竹と紙で大きな「的」を作り、矢竹で「矢」を、桜の木で「弓」を作ります。祈祷の後、村の長老、宮守、氏子たちが矢を射ます。この矢を持ち帰り苗代にさすと豊作になるとされています。


[弓打ち_三十八神社_藤井]
(2011.1.13)(天理市)


[的作り_三十八神社_藤井]
的は直径2メートルぐらいあり、県下の鬼的としては最大級。朝から竹ひごを組み、半紙を貼り中央に「鬼の鼻」をつけ、最後に「鬼」と書いた半紙を貼ります。的の廻りには13本の幣が付けられます。てっぺんの幣は「鬼のかんざし」と言われ、他の12本は暦の月をあらわすそうです。
(2011.1.13)(天理市)

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弓祝式_東川

その昔、この地に悪魔が徘徊しだした時、弓の名人・東弥惣(ひがしやそう)は「白山大権現」の神力にすがり、その悪魔を弓矢で退治した。喜ぶ村人に、弥惣は「悪魔は山の主である。今後村に祟りをもたらすかもしれない。毎年正月9日を祭り日とし、悪魔降伏を行え」と告げました。以降1月9日に弥惣の追善とともに、弓打ちの神事を行うようになった。1000年以上も続く伝統行事


[弓打ち_運川寺・烏川神社_東川]
3人の射手が東川(うのがわ)の運川(うんせん)寺から谷川を挟んで40mの烏川(からすがわ)神社境内に立てられた的に向かって射ます。
(2011.1.9)(川上村)


[千破美の踊り_烏川神社_東川]
弓打ちの後、烏川神社に設えてあった的場に行き、白装束の村神主が古式にのっとり、桑弓、蓬矢で東西南北天地を射、最後に鬼と書いた的(弓打ちの的の裏)を射ます。そして鬼的と対峙し鬼に引導をわたすような台詞を述べ、やがて的を持ち上げ「千破美(ちわみ)の踊り」を舞います。最後に小刀でとどめの一撃を加えます。
(伝承では千破美の踊りは鬼を倒した喜びを表すともありますが、今は鬼を倒す所作として踊られています)(2011.1.9)(川上村)

(2010年の千破美の踊り)


[千破美の踊り_烏川神社_東川]

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御弓はじめ祭_大和神社

新春恒例の御弓はじめ祭。拝殿で無病息災、五穀豊穣を祈年された後、小川原流の古式に則り、奈良県弓道連盟の会員、宮司、氏子、地元の中高校生らによる弓打ちが行われます。


[蟇目(ひきめ)の儀_大和神社]
弓はじめの最初に鏑矢を打つ蟇目(ひきめ)の儀が行われます。矢の先頭に鏑をつけ、打つとひゅ〜と大きな音を立てて飛びますので、戦場における合図として打たれたとの説などがあるようです。
(2011.1.4)(天理市)

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庚申講_金輪寺庚申堂

大和の国の庚申信仰の総道場として名高い金輪寺庚申堂。年6回〜7回の庚申の日には「庚申さん」と親しまれ遠方からも多くの方がお詣りされます。その昔は大変に賑わったそうですが、その後一時衰退していたのを講の方々の努力で復興されています。庚申さん名物の身代わり猿が所狭しと吊られている中、護摩を焚いて祈祷されます。


[護摩_初庚申_金輪寺庚申堂]
年の初めの庚申の日は初庚申として特にお詣りが多いようです。
身代わり猿にはこんな謂われがあるそうです。
人間の体内には「三尸(さんし)の虫」という三匹の虫がおり、庚申の夜に天に昇り天帝に60日間(庚申の日は60日に一回巡ってくる)に起こした人の悪行を告げるという。告げ口されないように「身代わり猿」が「寝ていても寝てないぞ」とおまじないするという。
(2011.1.5)(大和郡山市)

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修正会_信貴山朝護孫子寺

修正会(しゅしょうえ)は正月に行われる法会ということで、諸寺で行われていますが、信貴山朝護孫子寺では三日間にわたり一山(三院)総出仕により行われます。読経に続き、僧たちが本堂内を回り、ご本尊の真後ろの裏堂にて、両手に持ったお勝棒という漆の木で板を激しく打たれます。三日の修正会終了後、参拝者に除災招福を祈願して牛王宝印を額に授けられます。


[加持法要1_修正会_信貴山朝護孫子寺]
(2011.1.3)(平群町)


[加持法要2_修正会_信貴山朝護孫子寺]
(2011.1.3)(平群町)


[牛玉法印2_修正会_信貴山朝護孫子寺]
一山3院の官長が交代でそれぞれに牛玉法印を授与されます。
(2011.1.3)(平群町)


[牛玉法印2_修正会_信貴山朝護孫子寺]
お勤めの僧侶全員に牛玉法印を授与され、その後参拝の一般の方にも授与されます。
(2011.1.3)(平群町)

(2006年の修正会)


[修正会_信貴山朝護孫子寺]

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勧請綱掛け_椣原

椣原(しではら)で年頭の3日に勧請綱掛け行事が行われます。金勝寺境内で綱を錬り、奉納の後、龍田川に張り渡されます。龍を表すという綱は30メートルほどの男綱と10メートルほどの女綱で規模も大きく、古い形式を保っています。
旧村の椣原だけでは人手も少なくなり、新興住宅街の人も保存会に加わっての行事。早朝から綱を撚っていかれます。


[男綱の男根_綱掛け_椣原]
男綱(おんずな)の中央部に、「ほうでん(男根)」を撚りこんで仕上がり。年配の方がその作り方などを伝承しながら作業。ほうでん用の藁は餅米の藁を使われ、御神酒をかけながら作られます。
(2011.1.3)(平群町)


[男綱の男根_綱掛け_椣原]
出来上がった綱を、当たり年の人を人柱心棒にして男綱、女綱を、ぐるぐる巻きにしていきます。(2011.1.3)(平群町)


[男綱の男根_綱掛け_椣原]
100キロ以上はあろう綱の固まりを藁を敷き詰めた場へ横転させ、祝い事のあった男衆の上を転がします。(昨今では特に祝い事のあった方に限らず健康を祈って)年寄り、子供にはやさしく、若者には荒々しく上にまたがったりして「祝うたろ、祝うたろ」と囃してころがします。
この後、近くの龍田川まで運び、勧請綱掛が行われます。
(2011.1.3)(平群町)

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初詣_大仏殿

元旦の午前0時に大仏殿の中門を開扉され、初詣の人であふれます。この日と8月15日の万燈供養会の2回だけ大仏殿の正面の桟唐戸が開けられ、大仏様が拝顔できます。



[初詣_大仏殿]
(2011.1.1)(奈良市)

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除夜の鐘_東大寺

元旦の0時から除夜の鐘。東大寺では最初と最後の鐘は僧侶が打たれますが、その他は参拝者が順に打たれます。


[除夜の鐘1_東大寺]
東大寺の梵鐘は、総高3.86m、口径2.71m、重量26.3tあり撞木(しゅもく)はケヤキ作りで長さ4.48m、直径30cm、長さ180kg、金具を入れると約200kgもある。大きな釣り鐘であることから古来東大寺では大鐘と呼んでいる。(東大寺Hpより引用)。梵鐘、鐘楼ともに国宝。
梵鐘はその大きさ、音色から「奈良太郎」と親しまれています。
(2011.1.1)(奈良市)


[除夜の鐘2_東大寺]
一回につき8人程度が順に撞木(しゅもく)につけられたロープを引っ張り鐘を鳴らして行きます。この鐘を打とうと夕方から長い列ができます。
(2011.1.1)(奈良市)

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鶏追い_往馬大社


[鶏追い_往馬大社]
元日の早朝3時に行われる鶏追い(とりおい)の神事。神職が祝詞を奏上した後、二人の神職が行灯を手に、暗闇に包まれた境内の高座の中で
「この鶏はどこの鶏を追う、大勝院の鶏を追う、ホイホイホイ」
「この鶏はどこの鶏を追う、北条院の鶏を追う、ホイホイホイ」
「この鶏はどこの鶏を追う、往馬神社の鶏を追う、ホイホイホイ」
と掛け声をかけ、鶏を追う所作をしながら三回駆け抜けます。古式ゆかしい素朴な所作で、あっという間に終わります。
神職の所作に合わせて、北、南座でも氏子2人が同じ所作をされます。
神功皇后が出兵される時、同社で一夜兵馬を休め、翌朝、鶏に出兵のトキを告げるよう言われたが鳴かなかったので、出兵が遅れお怒りになり鶏を龍田川に流された。鶏は下の龍田神社の神様に助けられたという謂われの神事。以来往馬では鶏は食べるが飼わない、龍田では鶏は飼うが食べないという伝えがあったという。(2011.1.1)(生駒市)


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