近撮_2013.2
このページには最近作を月ごとに撮影順に区分なしで掲示し、
掲載後に順次、「風景」「行事・祭」「花ごよみ」「桜」「鹿」などに区分して掲示します。
(取り急ぎにつき、ラージサイズにならないもの、コメントの無いものもありますが順次追加します)
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おんだ祭_池神社

正式には池坐朝霧黄幡比売神社(いけにいますあさぎりはたひめじんじゃ)という古社で、明治初年までは天満宮と称されていたそうです。今も額には天満宮と書かれています。梅の咲き始めるころ、祈年祭、オンダ祭が行われます。池神社のおんだ祭は一行が村の中を道行きされる特徴があります。



[道行き1_おんだ祭_池神社]
冷え込みのきつい冬晴れの日、おんだ祭に向かう道行き。集落を回って神社へ。2008年の記録では道中も牛の面をかぶっておられました。
(2015.2.24)(田原本町)


[道行き2_おんだ祭1_池神社]
鳥居のところで牛面を被り本殿に向かわれます。
(2015.2.24)(田原本町)


[道行き3_おんだ祭1_池神社]
(2015.2.24)(田原本町)


[打ち合わせ中_おんだ祭_池神社]
牛さんと宮司さんが段取りの打ち合わせでしょうか。
(2015.2.24)(田原本町)

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綱懸け祭_長谷寺三社権現

長谷寺の本堂東北の一段高いところに鎮座する三社権現。長谷寺創建より古く、天平五年(733年)に聖武天皇の勅命で創建したと伝えられ、東に石蔵権現(地蔵菩薩)、中央に瀧蔵権現(虚空蔵菩薩)、西は新宮権現(薬師如来)を祀っている。旧暦1月11日、上の郷(中谷、柏森)、中の郷(各枝、柳)、下の郷(柳原、出雲)の六ケ大字の講衆が集まり神殿に注連縄を飾って綱懸け祭が営まれる。残された記録から300年以上の歴史があります。



[綱懸け_長谷寺三社権現]
(2013.2.20)(桜井市)


[当人児_長谷寺三社権現]
中ノ郷の当屋だけが素袍に烏帽子の出で立ち。当人児も主役を務めます。
(2013.2.20)(桜井市)


[牛黄宝印_長谷寺三社権現]
法要の後、三社に向かって牛黄宝印を押す所作をされます。
(2013.2.20)(桜井市)


[牛黄宝印2_長谷寺三社権現]
参詣者にも牛黄宝印を授けられます。
(2013.2.20)(桜井市)

2010年の綱懸け祭


[綱懸け祭_長谷寺三社権現]

それぞれの郷で編まれた大きな注連縄が神殿に掛けられます。東と中央の注連縄は向かって左側に穂先を、西の新宮権現だけが穂先を右側にして掛けられます。
(2010.2.24)(桜井市)


[法要_綱懸け祭_長谷寺三社権現]

祭事は長谷寺の僧侶により執り行われます。僧侶が神社に向かって般若心経など念仏を唱えられますが、権現は仏の化身であるという思想から来ているようで神仏習合の典型のように思われます。
(2010.2.24)(桜井市)

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だだおし_長谷寺

長谷寺で 修二会(しゅにえ)の締めくくりに行われる追儺会(ついなえ)。法要も終わりに近づいた頃、大きな赤、青、緑の三匹の鬼が堂内に暴れ込んできます。 法螺貝や太鼓が打ち鳴らされる中、追い出された鬼たちは大きな松明に追われて本堂、 礼堂の周りの舞台や欄干を暴れながら走り回ります。男衆が担ぐ松明は一丈五尺(約4.5m)三十貫(約110kg)という大きなものです。



[だだおし_長谷寺]
(2013.2.14)(桜井市)

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砂かけ祭_広瀬大社

奈良盆地の川が集まるこの地は昔から広瀬の 郷 と称され、水神を祀る広瀬神社があります。広瀬神社の「おんだ祭」は「砂かけ祭」と言われ、田人役、牛役、参拝者が所作の終わる度に砂をかけ合います。この砂は雨を意味し、かけ合いが盛んなほど豊作が適うとされ、老若男女入り乱れての合戦となります。大和の奇祭のひとつとして有名です。



[砂かけ祭1_広瀬大社]
(2013.2.11)(河合町)


[砂かけ祭2_広瀬大社]
(2013.2.11)(河合町)


[籾蒔き_殿上の儀_広瀬大社]
殿上の儀では畦作りから、牛使い。籾蒔きの一連の農耕所作が行われます。
(2013.2.11)(河合町)


[田植え1_殿上の儀_広瀬大社]
巫女による田植えでは古歌を詠ってから田植えが始まります。
(2013.2.11)(河合町)


[田植え2_殿上の儀_広瀬大社]
(2013.2.11)(河合町)

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子出来おんだ祭_六縣神社

御田(おんだ)祭は各地で行われ、五穀豊穣、子孫繁栄はを祈るものですがそれぞれに特徴があります。ここ六縣(むつかた)神社のおんだ祭は子出来御田祭とも言われ、厳粛なものですが太鼓を使うユーモラスな出産の所作は面白いものです。



[子出来おんだ祭1_六縣神社]
農耕の所作が終わる度に子供たちが襲いかかります。
(2013.2.11)(川西町)


[子出来おんだ祭2_六縣神社]
いよいよ妊婦の登場。子供らもはじめは不思議そうな顔で見上げ、その内冷やかしたりはやし立てます。
(2013.2.11)(川西町)


[子出来おんだ祭3_六縣神社]

厄年の男子が腹に小太鼓を入れて妊婦に扮し、田植えをしている夫のもとに弁当を持っていき世間話をしている内に産気ずき男児を出産してしまいます。お腹から小太鼓が転げ出るのですが、それが男の子というわけです。夫はその小太鼓を叩きながら、「ぼんぼん出来たぼん出来た」と喜びの声を上げ、走りだします。夫婦愛・農耕勤勉の願いを表現したものなのでしょう
(2013.2.11)(川西町)


2007年の子出来おんだ祭


[子出来おんだ祭_六縣神社]

子出来の場面以外にも当然田植えの所作をする場面もあります。土起こし、水入れ、肥やしやり、田植えなどですが、これは田螺(たにし)取りの所作です。子供達が「そら蛇がいるぞ」とか「そらそこに蛭もいるぞ」とかヤジを飛ばしたり、邪魔をしたりします。椿の葉は肥やしや稲の代用なのです。
(2007.2.11)(川西町)


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おんだ祭_大和神社

大和神社のおんだ祭は子供中心に行われます。実際の牛耕や田の作業など見たこともない世代ですので、大人に教えてもらいながら大まじめにやっています。



[おんだ祭1_大和神社]
(2013.2.10)(天理市)


[おんだ祭2_大和神社]
(2013.2.10)(天理市)

2010年のおんだ祭
この年はこんな演出もありました。もうやめられたのでしょうか。

[おんだ祭_大和神社]
(2010.2.10)(天理市)

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飛鳥のおんだ祭_飛鳥坐神社

天下の奇祭として有名な飛鳥坐神社のおんだ祭。舞台の上で天狗とお多福が演じる夫婦和合の儀式は有名ですが、神社周辺では天狗、お多福、翁、牛役などが参拝者を追っかけ回して相手構わず竹のササラでお尻を叩きます。子供らはそれをはやし立て、田んぼの中などを逃げ回ります。厄除けとして行われるもので、子供や女性にはやさしく、青年男子にはかなりきつくしばきます。


お知らせ---奈良日日新聞の奈良の祭りを応援するシリーズを担当させていただくことになりました。第1回目がこの飛鳥のおんだ祭でした。こちらで掲載紙の内容を見ていただけます。



[厄除け尻叩き1_おんだ祭_飛鳥坐神社]
(2013.2.3)(明日香村)


[厄除け尻叩き2_おんだ祭_飛鳥坐神社]
(2013.2.3)(明日香村)


[厄除け尻叩き3_おんだ祭_飛鳥坐神社]
(2013.2.3)(明日香村)


[厄除け尻叩き4_おんだ祭_飛鳥坐神社]
(2013.2.3)(明日香村)

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追儺会_法隆寺西円堂

法隆寺の西円堂では2/1〜2/3まで修二会が執り行われますが、その結願のあと、鬼追式が始まります。西円堂の基壇上で黒鬼、赤鬼、青鬼が子供に手を引かれ東面、正面、西面で所作を行い、松明を受け取るや荒っぽく振り回し、参拝者めがけて投げつけます。この火の粉がかかると、その年は無病息災と言われています。この行事を追儺会(ついなえ)と言い、鬼追いとしてはもっとも古い歴史があるそうです。(数年前にこれで怪我人が出たとのことで、ぐるりを金網で覆われています。今回もこの松明が私の前の金網にぶつかって、結構火の粉を受けました。でも金網はちょっと味けないと思うのですが)



[追儺会_法隆寺西円堂]
(2013.2.3)(斑鳩町)


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