近撮_2013.10
このページには最近作を月ごとに撮影順に区分なしで掲示しております。
(取り急ぎにつき、ラージサイズにならないもの、コメントの無いものもありますが順次追加します)
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弁才天、南、的場、萱野の四大字のだんじりが伊勢音頭を唄いながら巡行します。宵宮の櫛玉比女命神社への宮入りは豪壮で、早打ちの太鼓と鉦の音とともに一気に拝殿に突っ込みます。名前の由来は村のみんなが戸を立てて(閉めて)祭りに参加したことによるとのことですが諸説あり定かではないようです。
今年度より「戸閉て祭」(とたてまつり)と表記されていました。



[上乗りさん迎え_戸閉て祭]

宵宮の朝、上乗りさんと呼ばれる主役(大字の役員さん、自警団のOB、青年団OBなど)を青年団が迎えに行きます。
(2013.10.31)(広陵町)



[祝儀_戸閉て祭]

日中は大字の中をだんじりを曳行していきます。ご祝儀をいただいた商店やお家の前で伊勢音頭を唄いその都度御神酒が入ります。1日に飲むお酒の量は相当なものになります。
(2013.10.31)(広陵町)



[だんじり曳行_戸閉て祭]

夕方には学校から帰った子供らも参加して神社まで曳行。
だんじりの棟に飾ってある御幣はカンナで削ったもので特徴的なものです。
(2013.10.31)(広陵町)



[ご神火授け_戸閉て祭]

だんじりの提灯などに使う火を夕方に各大字の若頭がもらい受けに来ます。神主さんが神殿の大きな提灯の火を大字の提灯に移し授けます。
(2013.10.31)(広陵町)



[宮入りへ_戸閉て祭]

宮入を前に意気を高める青年団。的場の青年団には女性も入っておられます。
(2013.10.31)(広陵町)



[宮入り_戸閉て祭]

軽快な鉦と太鼓に合わせて拝殿めがけて勢いつけて走り込みます。拝殿の階段の寸前で階段にぶつかるように止まります。
(2013.10.31)(広陵町)



[伊勢音頭1_戸閉て祭]

拝殿に走り込むと、上乗りさんから拝殿で待ち受ける区長さん、総代さんに前日に神社から受けた御幣を返納します。そのあと、伊勢音頭を全員が回し唄いせて気勢を上げます。
(2013.10.31)(広陵町)



[伊勢音頭2_戸閉て祭]

唄い終わると担ぎ上げ軒天井の鈴に頭をぶつけいよいよ気勢を上げます。
(2013.10.31)(広陵町)


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田原の火祭り_菅原神社

田原菅原神社の秋祭り。夕暮れに集落の上地区と下地区の当屋さんから村の中程の高台に鎮座する菅原神社まで大きな松明を先頭にお渡りが行われます。松明は長さ7メートルの竹を結わえた大きな松明。頭屋さん、御供担ぎが続き、村人が提灯を手に手に続きます。



[田原の火祭り1_菅原神社]

当屋さんの庭先で点火、二度三度と高く放り上げて出発。「カイト、ヨイト」のかけ声で神社へ向かいます。
(2013.10.27)(宇陀市)



[田原の火祭り1_菅原神社]

道中何度か「差せ差せ」と上方へ放り投げたり、三叉路の広いころに来ると「廻せ廻せ」のかけ声で大きな松明を回転させたりしながら菅原神社の下で上地区と下地区の松明が合流。
(2013.10.27)(宇陀市)



[田原の火祭り1_菅原神社]

一気に高台に鎮座する菅原神社まで駆け上がります。
(2013.10.27)(宇陀市)



[田原の火祭り1_菅原神社]

本殿前の左右に2本の松明が立てられます。松明の本来の意味はこの祭礼の時の灯りだそうです。
(2013.10.27)(宇陀市)



[田原の火祭り1_菅原神社]

松明の後ろから村人が手提灯を下げて続きます。数年前までは大麻で作った手松明でしたが、時節柄廃止になったようです。手松明の時はもっと雰囲気があったもんです。
(2013.10.27)(宇陀市)

ご参考---2007年の火祭り


[田原の火祭り1_菅原神社]

子供らも提灯持って行列に参加。
(2013.10.27)(宇陀市)


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百味の御食_宮講祭_膳夫

膳夫(かしわて)集落に伝わる宮講祭では頭家(右座と左座の2軒)で神送りの神事をされます。
三柱神社のお祭りでもありこの日は子供が曳くだんじりも町内を巡行します。 その神饌は百味の御食と言われ、およそ100種の生りものを供えられます。



[百味の御食_宮講祭_膳夫]

古来、宮中の饗饌を調進し、食べ物を執り扱う官人をカシワテと呼ばれ、その一族が住まいしていたという橿原市の膳夫(かしわて)の宮座行事。右座、左座の頭屋で神送りの儀が行われ、三柱神社まで巡行されます。頭屋での行事は厳粛で、その神饌も膳夫(かしわで)の由来からか、百ぐらいの生りものを供えられます。
(2013.10.28)(樫原市)


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龍田神楽

西大和地域の多くの神社の例祭でよく見られる龍田神楽。巫女家系の坂本家一統に伝わる神楽で、真剣を持って舞われ、参拝者にお祓い、祈祷をされます。
龍田大社、櫛玉比女命神社、糸井神社などでもありますが、この秋尋ねた秋祭りから2点を展示します。



[龍田神楽1_六縣神社]

参拝者がお詣りの度に、講の方の小太鼓、鉦のチンチンドンドンの音に合わせて剣の舞、鈴の舞を舞い、祈祷されます。
(2013.10.19)(川西町)



[龍田神楽2_久度神社]

久度神社の宵宮祭には町内各自治会から子供御輿が宮入りし、子供達がお祓いをしていただきます。今年は台風の予報もあり御輿は中止になりました。一般参拝者も順次祈祷を受けます。
(2013.10.26)(王寺町)



[龍田神楽3_櫛玉比女命神社]

戸閉て祭
(2013.10.31)(広陵町)


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宮入り_広瀬大社秋祭り宵宮

私の地元、氏子でもある広瀬大社の秋祭り。特徴的なものもありませんが、二つの集落(城古、市場)から太鼓台が出ます。宵宮には提灯台、子供御輿と一緒に宮入りします。



[太鼓台1_広瀬大社]

城古の太鼓台はかなり古いもののようです。その昔三郷町の村から買い入れたと伝わります。その証か、太鼓台には広瀬大社の紋(橘)と龍田大社の紋(モミジ)が混ざっています。
(2013.10.19)(河合町)



[太鼓台1_広瀬大社]

市場の太鼓台は布団太鼓。
(2013.10.19)(河合町)


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神事相撲_奈良豆比古神社

神事相撲は各地の秋祭りに見られますが、その謂われ、形態も様々ですが、基本的には豊作に感謝し、奉納されるものだと思われます。実際に取り組みを行うものより、形式的なもの、芸能的なもの、歌舞音曲的なものの方が多いようです。奈良豆比古神社の神事相撲は本殿の前で、神主のハッケヨイ・ノコッタのかけ声で2人が榊を頭にして拝殿のぐるりを行き違いに三周回られます。



[神事相撲1_奈良豆比古神社]

頭に榊を掲げ2人はゆっくりと拝殿のまわりを「ホーオイ」のかけ声を交互に交わしながら三周回られます。「ホーオイ」は「穂多い」ではないかと言われています。
(2013.10.9)(奈良市)



[神事相撲2_奈良豆比古神社]

神事の後、この一年間に生まれた子供を抱き上げ、成長を願います。
(2013.10.9)(奈良市)



[スモンノモチ_奈良豆比古神社]

力餅の「スモンノモチ」が献じられ氏子らが賜ります。
(2013.10.9)(奈良市)


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翁舞_興ヶ原天満神社

柳生の東、布目川沿いに鎮座する興ヶ原(おくがはら)天満神社、その急な階段を登ると正面に社、左側境内に舞殿があります。ここで秋の祭礼の宵宮に翁舞が行われます。本殿から舞殿に据え付けられた御輿にあらかじめ神遷しが行われています。その神に奉納されます。奈良の何カ所かで翁舞がありますが、興ヶ原のはほとんど素人的な村人によって行われていて、観客もなし、素朴な感じでなかなかに好ましいものを感じます。



[翁舞1_興ヶ原天満神社]

境内の舞殿。神事が行われています。
(2013.10.19)(奈良市)



[翁舞1_興ヶ原天満神社]

以前(平成18年まで)はオトナ衆と呼ばれる終身制の宮座の方々によって行われていましたが、現在は保存会を結成し、比較的若い方が翁を務めておられます。式三番が舞われます。
(2013.10.19)(奈良市)


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火祭り_往馬大社

往馬(いこま)大社の秋祭りで一般に火祭りと呼ばれています。高座の神前から火をいただき一気に境内から外まで走り抜けます。10秒の祭りと言われるほどにあっという間の神事です。もちろん古式に則った神事も多彩に行われますが、ほとんどが競争で成り立っており、昔から勝負祭りとか喧嘩祭りとも呼ばれてきたようです。



[火とり_往馬大社]

高座の奥に控える「火出し」がオガラで作られた大きな松明に火を付け、「ヨシカ、ヨシカ、ヨシカ」のかけ声で南北の「火取り」に同時に渡し、受け取った火取りはどちらが先に階段を下りるかで勝負します。
(2013.10.13)(生駒市)



[ゴムシ点火_往馬大社]

受け取った松明をかかげ一気に階段下へ走り、途中でさらにススキなどで作られた大きな燃えやすい「ゴムシ」という松明に点火し、その燃えるゴムシも神社の外まで競争で走り去ります。あっという間の行事です。
(2013.10.13)(生駒市)



[御供上げ_往馬大社]

御供上げも北座、南座でどちらが先に上げ終えるかの勝負。丁寧に作り上げた御供も早さを競うあまり高座の御輿に供えられるときはごちゃまぜ状態になっています。
(2013.10.13)(生駒市)



[べんずりの舞_往馬大社]

弁随(べんずり)の舞、弁随という祭り全体を差配する役で、生駒谷を南北に分け4人ずつが役につきます。べんずりは神職よりも強い権限を持ち、機嫌をそこねると祭りができないという。酔っぱらって舞う踊りは滑稽でもあり、それでいてちょっと妖しい雰囲気でもあります。
(2013.10.13)(生駒市)



[禊ぎ_往馬大社]

神事の無事と身を清めるために祭りの準備期間中には毎日、神官や世話役が厳粛に禊ぎをされますが、宵宮には各地区からの若い所役たちが「ワッショイワッショイ」のかけ声で禊ぎ場まで行進し、いっせいに飛び込み水のかけ合いのような騒ぎになります。禊ぎというより景気づけのような感じ。
(2013.10.12)(生駒市)



[宵宮松明と大松明_往馬大社]

宵宮には祓戸社で「火出し」から火を戴き、石段を駆け下り高座の前の石段の所定の場所に置かれます。北座は松明の火を上に、南座は火を下にする習わし。最近はその火をもらって境内に設えられた宵宮大松明に点火しご祈祷札の炊き上げが行われています。
(2013.10.12)(生駒市)


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おはきつき_生駒山口神社

生駒山口神社の祭礼では、櫟原集落の6つの垣内を5つに分け年交代でその年の当屋さんのお宅に御旅所(お仮屋)が設えられ、宵宮の5日前に神社からお渡りが行わます。男神と女神のお渡りがありますが、男神は昼間に、女神は夜中にお渡りがあります。女神のお渡りは何人も(村人も)見てはならないことになっており(もちろん撮影禁止)村中の街灯も黒布で覆われ、真っ暗な中で静かに行われます。
(奈良県無形民俗文化財)



[おはきつき_生駒山口神社]

お仮屋はオハキツキといわれる特徴的な作りで、8本の新芽の出る広葉樹の若木を逆円錐状に立て、ぐるりを竹で編み上げ杉の葉を刺し込み仕上げるというなかなかに手の込んだものです。榊をオハキツキのてっぺんの竹筒に差し込み宵宮の還行までお祀りされます。
(2013.9.29)(平群町)



[お渡り1_生駒山口神社]

神社からお仮屋へのお渡り。御幣をつけた榊に神を遷し、当屋と敬用人が烏帽子、狩衣姿で提灯持ちら数人を従えて神社から当屋宅のお仮屋までお渡りされます。
(2013.10.06)(平群町)



[お渡り2_生駒山口神社]

お仮屋から神社へのお渡り。夜のお渡りは、頭屋と敬用人は今年の稲一株を逆さに帽子状にしたものを被られるのだそうです。
(2013.10.13)(平群町)



[お渡り3_生駒山口神社]

神社鳥居前で神さんのお戻りを神官が丁寧にお迎えされます。
(2013.10.13)(平群町)


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百味の御食_嘉吉祭

嘉吉祭は室町時代に戦火を逃れて橘寺へ移っていた神霊が、嘉吉元年に戻ったことを祝って始まったという。
嘉吉祭の神饌は百味の御食(ひゃくみのおんじき)といわれ、氏子を中心に神官も加わり約一週間かけて丁寧に作られます。穀物、果物、木の実などを手の込んだ様式で作り上げてあり大変美しくもありそれはもう芸術品の域。
(奈良県無形民俗文化財)



[和稲(にぎしね)1_嘉吉祭_談山神社]

百味の御食の神饌はその名のとおり、昔は200種ぐらいあったとか。今では35種ぐらいでしょうか。それぞれに特徴がありますが、特に目をひくこの神饌は「和稲(にぎしね)」(米御供)と言い、米粒を赤、青、黄の食用紅で染め、一周42粒70段に仕上げてあります。その模様も伝統の数種があるようです。上部には五色に染めた家の垂木を表す長方形の餅が数本つけられており、上方に反っているのは家の繁栄を願ったものものだという。
(2013.10.13)(桜井市)



[和稲(にぎしね)2_嘉吉祭_談山神社]

(2013.10.13)(桜井市)



[荒稲(あらしね)_嘉吉祭_談山神社]

「荒稲(あらしね)」。毛御供とも云われ木の実の上に稲の芒(のぎ)を揃え頂にホオズキを載せたもの。
(2013.10.13)(桜井市)



[和稲と荒稲_嘉吉祭_談山神社]

(2013.10.13)(桜井市)



[無垢人と鶏頭_嘉吉祭_談山神社]

献饌の先頭に無垢人(むくびと)の人形、続いて鶏頭(ケイトウ)の花、続いていわゆる特殊神饌が供えられて行きます。
(2013.10.13)(桜井市)



[和稲(にぎしね)作り_嘉吉祭_談山神社]

百味の御食のなかでも、もっとも手の込んだ作りの難しいのといわれるのがこの和稲(にぎしね)。F氏は50年以上作っておられますが、米粒ひとつずつ積み上げて行く作業に息もこらし緊張されています。
卍の模様も神社に珍しいようですが、談山神社は昔寺院であったことにちなむもの。
彩色した米粒を一周42粒約70段積み上げられます。42はその昔42の塔頭があったことにちなむとか。
(2013.10.11)(桜井市)



[盛り御供作り1_嘉吉祭_談山神社]

盛り御供は果実や野菜、キノコなどをミョウガを束ねた芯に差し込んでいきます。
(2013.10.10)(桜井市)



[盛り御供作り2_嘉吉祭_談山神社]

(2013.10.11)(桜井市)


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[コスモス_法起寺]

(2013.10.1)(斑鳩町)



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