近撮_2015.3
このページには最近作を月ごとに撮影順に区分なしで掲示しております。
(取り急ぎにつき、ラージサイズにならないもの、コメントの無いものもありますが順次追加します)
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花会式_薬師寺

およそ900年の昔、堀河天皇が、皇后のご病気平癒を薬師如来に祈願されたところ、霊験を得て本復されました。そこで皇后は、感謝の心を十種の造花(梅、桃、桜、山吹、椿、牡丹、藤、百合、杜若、菊)にこめて、年ごとの薬師寺修二会に供えられました。これが発祥となり、以来今日まで絶えることない雅やかな奈良を代表する伝統行事となっています。(薬師寺のパンフより引用)
会式では練行衆による六時の法要を中心に種々の祭事、奉納行事などが行われますがそれらの多く(特に堂内)は撮影禁止とされています。特別に許可を得て記録させていただいておりますが、ここでは一般撮影可能な鬼追い式などをアップさせていただきます。


[神供_花会式_薬師寺]

(2015.3.31)(奈良市)



[鬼追い式1_花会式_薬師寺]

(2015.3.31)(奈良市)



[鬼追い式2_花会式_薬師寺]

(2015.3.31)(奈良市)



[狂言の奉納_花会式_薬師寺]

演目は「呼声」
(2015.3.27)(奈良市)



[西塔九輪塔と月_花会式_薬師寺]

(2015.3.25)(奈良市)


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修二会_東大寺二月堂

東大寺の修二会は、天平勝宝4年(752)、東大寺開山良弁僧正の高弟、実忠和尚(じっちゅうかしょう)が創始された。以来、平成27年には1264回を数える。修二会の正式名称は「十一面悔過(じゅういちめんけか)」と言う。我々が日常に犯しているさまざまな過ちを、二月堂の本尊である十一面観世音菩薩の宝前で、懺悔(さんげ)することを意味する。天災や疫病を取り除いて、鎮護国家、天下泰安、風雨順時、五穀豊穣、万民快楽など、人々の幸福を願う行事。東大寺の長い歴史にあって、二度までもその大伽藍の大半が灰盤に帰してしまった時ですら、修二会だけは「不退の行法」として、1260有余年もの間一度も絶えることなく、連綿と今日に至るまで引き継がれてきたのである。現在では3月1日より2週間にわたって行われているが、もとは旧暦の2月1日から行われていたので、二月に修する法会という意味から「修二会」と呼ばれるようになった。行法の中で、12日の深夜(厳密には13日の2時頃)にお堂に供える香水を二月堂の下の閼伽井(あかい)からお水を汲み上げる儀式があり、そこから一般市井から「お水取り」の名で親しまれ、またお水取りが終わると、大和の国に春が来るとも言われている所以でもあります。
(記事は東大寺のホームページ記述より抜粋編集)

ご許可を得て本行も撮影させていただいておりますが、割愛して松明他の数点を展示させていただきます。


[尻付け松明_修二会_東大寺二月堂]

明朝満行を迎えられる14日は練行衆が次から次へと上堂されます。松明も練行衆を先導したあと10本全部が回廊に並びいっせいに火の粉を振り落とされます。
(2015.3.14)(奈良市)



[松明_修二会_東大寺二月堂]

(2015.3.3)(奈良市)



[月夜の松明_修二会_東大寺二月堂]

(2015.3.2)(奈良市)



[鵜と松明_修二会_東大寺二月堂]

閼伽井屋の鵜が松明を見ているようでした。
(2015.3.12)(奈良市)



[結界張り_修二会_東大寺二月堂]

修二会の間、二月堂の回りは結界となり、堂童子らにより結界縄が張られます。
(2015.2.21)(奈良市)



[竹運び_修二会_東大寺二月堂]

奉納された松明用の竹を二月堂下の置き場まで運ばれる童子さんたち。童子さんたちは松明作りから上堂案内、さらに練行衆の身の回りの世話や法要の準備などで大忙し。
(2015.2.21)(奈良市)



[湯布令_修二会_東大寺二月堂]

日中、日没の行を終えて練行衆はお風呂に入られます。
この日は雪がちらついていました。
(2015.3.10)(奈良市)



[生飯(さば)投げ_修二会_東大寺二月堂]

午前の日中、日没の勤修のあと食堂で食作法が行われ食事をされますが、その時生飯(サバ)と称して一握りのご飯を紙に包みおかれ、食堂から出る時にそれを閼伽井屋の屋根方向に向って投げられます。
これは生物への施しとして投げられるものです。
屋根に来る小鳥や、鹿などがこれを食するのですが、賢いのはカラス、その時間前になると必ず一羽が偵察に飛行し、やがて数羽が近くの高枝などで待ち、投げられるとすぐに飛来して紙包みごと加えてトンでいきます。
そんな情景を閼伽井屋の鵜の鳥の瓦といっしょに撮ってみました。
(2015.3.4)(奈良市)



[解散自坊へ_修二会_東大寺二月堂]

すべての行を終えられ、開山堂へ参られたあと解散されます。それぞれ自坊へお帰りになります。裏参道で。
(2015.3.15)(奈良市)


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胃癪のまじない・千光寺


病気封じの願いの祈祷やまじないは全国的にもいろいろあります。ここ千光寺のそれは「胃癪のまじない」と言い、胃癪すなわち病気のことで、その病気封じのまじないをなさいます。祈願者と呪い師が問答形式で行われるのが特徴。旧暦1月14日の真夜中に行われます。



[胃癪のまじない_千光寺]

祈願者と呪い師が問答形式で
祈願者 「そこに居るのは誰じゃ」
呪い師 「胃癪の根掘りじゃ」
祈願者 「〇〇歳の男、胃癪で困っています、病の根を掘ってください」
呪い師 「商売が胃癪の根掘りじゃから、〇〇歳の男、胃癪の根を掘ってやろう」
と言って、火伏してある火床に鍬を入れられます。
(2015.3.4)(平群町)



[報恩謝徳の護摩1_千光寺]

胃癪のまじないのあと、行者堂の前で報恩謝徳の護摩が焚かれます。
(2015.3.4)(平群町)



[報恩謝徳の護摩2_千光寺]

(2015.3.4)(平群町)


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