近撮_2016.5
このページには最近作を月ごとに撮影順に区分なしで掲示しております。
(取り急ぎにつき、ラージサイズにならないもの、コメントの無いものもありますが順次追加します)
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オツキヨウカ_高原(たかはら)

「卯月八日」の行事で「ウツキヨウカ」が「オツキヨウカ」に訛ったようです。八日竿とも呼ばれます。
奈良の他では都祁あたりに何カ所かあると聞きます「天道花」と似たもので謂れもほとんど変わらないようです。
天道花は竹竿ですが、ここ高原では林業の村らしく杉の細い幹を使われます。
てっぺんに飾る花も色々のようです。高原では菖蒲、よもぎ、山吹が決まりだったとのことですが、今年は山吹が終わっていたこともあって、まあ他でもよいだろうと百合や紫蘭、ドイツアヤメ、カーネーションなどを付けられました。
お供えは「火打石」と名付けられたアンコ入りのよもぎ餅でした。お供えというより振る舞いのようで、すぐにみんなでいただきます。
謂れは、Kさんによると、
1.「卯月八日」の行事で旧暦の4月8日だったのが、新暦で5月8日に行われるようになった。(正確には新旧歴が一ヶ月遅れではありませんが、月遅れということで)
2.灌仏会の花祭りにも関係しているのかもしれない。
3.この日をもって、山の神が冬の間見守っていた田から山に帰り、代わって田の神が田を守りに現れるという説もあると。
4.菖蒲とよもぎをてっぺんに飾る事や、屋根に投げ上げることやお風呂に入れられる事から端午の節句にも由来しているようでもあると。(ただし高原の端午の節句は6/5だそうですが)


朝日新聞が奈良版記事「探るなら」に取り上げられるということで同行させていただきました。
新聞記事もご参考にしてください。



[八日竿 1_高原]

(2016.5.8)(川上村)



[杉の切り出し_高原]

(2016.5.8)(川上村)



[竿つくり 1_高原]

6メートルぐらいに切り、皮を剥きます。子供達もお手伝い。
(2016.5.8)(川上村)



[竿つくり 2_高原]

ショウブとヨモギは必須だそうで、あとは季節の花を適宜に用意されます。
(2016.5.8)(川上村)



[竿つくり 3_高原]

(2016.5.8)(川上村)



[八日竿 2_高原]

立ち上がった八日竿。
(2016.5.8)(川上村)



[八日竿 3_高原]

八日竿の下をはしゃぎ回る元気な子ら。
(2016.5.8)(川上村)



[節句行事_高原]

節句の行事も行われ、ショウブとヨモギの束を屋根に投げ上げられます。
(2016.5.8)(川上村)



[木蝋_高原]

山仕事の方が山で炊事したりされるのに促成で木蝋というのを作られるとのことで、それを見せてくださいました。即席麺をみんなでいただきました。
(2016.5.8)(川上村)


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練供養会式_當麻寺

正式には聖衆来迎練供養会式と言います。当麻寺の春の大祭で、中将姫の現身往生を再現する行事。蓮糸を染めて曼陀羅を織ったといわれる中将姫を西方浄土から迎えに来る様子を現します。雅楽や読経が流れ、西日が差すなか、本堂(この日は極楽堂と呼ばれます)を西方極楽浄土、裟婆堂を人間界に見たて、その間にかけた来迎橋を金蓮台に乗せた中将法尼を持つ観音菩薩を先頭に、二十五菩薩が練ります。1000年を越える伝統を持つこの行事は、各地で行われる練供養(ねりくよう)の発祥と言われています。



[練り供養 1_當麻寺]

(2016.5.14)(葛城市)



[練り供養 2_當麻寺]

(2016.5.14)(葛城市)



[観音菩薩_練り供養_當麻寺]

(2016.5.14)(葛城市)



[勢至菩薩_練り供養_當麻寺]

(2016.5.14)(葛城市)



[練り供養 3_當麻寺]

(2016.5.14)(葛城市)



[練り供養 4_當麻寺]

(2016.5.14)(葛城市)



[練り供養 5_當麻寺]

(2016.5.14)(葛城市)



[面つけ 1_練り供養_當麻寺]

(2016.5.14)(葛城市)



[面つけ 2_練り供養_當麻寺]

(2016.5.14)(葛城市)



[大役終えて_練り供養_當麻寺]

(2016.5.14)(葛城市)


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ジャジャウマ-野神祭_平等坊

平等坊町の野神祭は氏子らが早朝から熊野神社の境内に集まり、蛇を模った綱を作ります。出来上がったジャジャ馬綱は拝殿前に供えたのち、年長の男子を先頭に蛇を担いで西へ数百メートル離れた野神塚までお渡りします。昔は道中の水路で暴れまわったり、蛇に水を飲ませた所作もあったそうだが今ではもう見られません。



[ジャジャウマ 1_平等坊]

蛇は多くの所では米わら、もち米わらで編まれますが、こちらでは麦の穂つきも混ぜて編まれます。
(2016.5.5)(天理市)



[ジャジャウマ 2_平等坊]

大人たちが蛇を作っている間も子供達は境内で遊んでいます。
(2016.5.5)(天理市)


 

[ジャジャウマ 3_平等坊]

出来上がった蛇を本殿前に供えて。
(2016.5.5)(天理市)



[ジャジャウマ 4_平等坊]

野神祭などではよくジャコを神饌にし、そのあとたばわる(戴く)風習がよく見られます。ジャコも今はちりめんじゃこでした。合わせてこの日は端午の節句、柏餅をいただきます。
(2016.5.5)(天理市)



[ジャジャウマ 5_平等坊]

(2016.5.5)(天理市)



[ジャジャウマ 6_平等坊]

村はずれの野神塚
(2016.5.5)(天理市)


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綱かけ_矢部

綱かけは同町内の鍵と今里で行われる「蛇巻き」と同様、野神行事のひとつ。
前日に綱、牛の版画、鍬や鍬の模型を作り、当日の午前、当番組や自治会の役員、僧侶らが公民館に集まり会食。11時ころ長さ約7mの藁縄に藁束を垂らした綱を担ぎ、伊勢音頭を流しながら地区を練ります。蛇の頭に相当する箇所にはセンダン(栴檀)の小枝が飾り付けられています。
練り歩く途中で、過去1年の間に慶事のあった家の人、次期役員などを綱で巻いて祝意を表します。
最後は地区南寄りの「ツナカケ」と呼ぶ地に至り、2本のヨノミの木に綱を掛け渡します。
僧侶が読経するなか(ノガミ神事ですが仏式)、一同、豊作と除悪霊を祈願して焼香。このあと公民館に戻って牛の版木刷、鍬・鍬の模型が各戸に配られます。



[巡行 1_綱かけ_矢部]

(2016.5.5)(田原本町)



[巡行 2_綱かけ_矢部]

(2016.5.5)(田原本町)



[お祝い_綱かけ_矢部]

新婚さん、新生児、役員さんなどを綱を巻くようにして祝います。
(2016.5.5)(田原本町)



[綱かけ 1_矢部]

地区の南寄りの十字路の一角(「ツナカケ」と呼ぶ)に植わるヨノミの木に綱を掛け渡します。
(2016.5.5)(田原本町)



[綱かけ 2_矢部]

御幣、牛の版木刷、鍬・鍬などの農具の模型、稲苗(本物)が入った籠(苗籠)。
(2016.5.5)(田原本町)



[綱かけ 3_矢部]

牛の版木刷り、農具のミニチュアが各戸に配られます。
(2016.5.5)(田原本町)


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汁かけ祭-蛇穴

昔、葛城山への日参で村の筋街道を通っていた役行者に娘が恋をした。だが修行一途で見向きもされなかったため大蛇と化し、行者を飲み込もうと森の“穴”に隠れる。田植えに向かった村人が大蛇に遭遇し、持っていた味噌汁をぶっかけて逃れることができた。その後、井戸に入った大蛇は大石でふさがれ、手厚く供養されたという謂われのもとに行われてきた祭事。奈良の各地でも行われてきた農耕儀礼「ノガミ」の一種。蛇穴(地名)の野口神社での祈年祭のあと、蛇や参詣者に向かって神主がわかめ汁をかけることから「汁かけ祭り」と呼ばれ、蛇を曳くことから「蛇綱曳き」と呼ばれています。ご神体の龍は一年間頭屋の家で祀られますが、その頭屋渡しにも特色が見られます。

今年は次年度への頭屋引き渡しを中心に撮らせていただきました。他は過年度分と合わせご覧ください。



[汁かけ祭 1_野口神社]

村まわりを終え神社に勢いよく暴れるように戻ってきたところ。
(2016.5.5)(御所市)



[汁かけ祭 2_野口神社]

(2016.5.5)(御所市)



[蛇塚_野口神社]

役目を終えた蛇は神社の一角の蛇塚に置かれ、自然に朽ちるまで置いておかれます。
(2016.5.5)(御所市)



[頭屋渡し 1_蛇穴]

翌年の頭屋さんへの引き継ぎのために頭屋に向かう一行。
(2016.5.5)(御所市)



[頭屋渡し 2_蛇穴]

新頭屋に着くと、座敷に設えられた神棚に御神体の分霊を安置し、1年間祀られます。
(2016.5.5)(御所市)



[頭屋渡し 3_蛇穴]

頭屋渡しの祝いに座敷をぐるぐると回りながら太鼓を打ち鳴らします。
(2016.5.5)(御所市)


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野依のおんだ祭_野依

おんだ祭りは豊作を祈る予祝行事で、各地によってその所作も様々なものが見られます。牛役や田男が農耕の所作をするものが多いのですが、野依のおんだ祭では牛役はなく、男が演じる「ショトメ」さんに特色があります。また「大頭」と呼ばれる田主役の所作や「お婆」役によるけんずい(間食の意)などにも独特のものがあります。



[ショトメ_野依のおんだ祭]

囃子唄「今年のウグイスはなに持って来よった」に合わせて踊るショトメの所作はおもしろいものです。ショトメとは早乙女のことで、村の男が演じます。この日は女性はなにもしないという習わし。
(2016.5.5)(宇陀市)



[野依のおんだ祭 1_野依]

杵と丸めた茣蓙を腰にぶら下げ、太鼓と歌に合わせて蛇の目傘を開いたり閉じたりの舞いを演じる大頭(だいとう)。雨乞いの意味合いが込められたもの
(2016.5.5)(宇陀市)



[野依のおんだ祭 2_野依]

(2016.5.5)(宇陀市)



[けんずい 1_野依のおんだ祭]

(2016.5.5)(宇陀市)



[けんずい 2_野依のおんだ祭]

参拝者にもけんずいの真似ごと。
(2016.5.5)(宇陀市)



[野依のおんだ祭 3_野依]

境内での所作を終え、一段高い本殿の前でも同じ所作が行われます。
(2016.5.5)(宇陀市)


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戸開け式_大峯山寺

修験道の開祖「役行者」をまつる山上ヶ岳頂上の大峯山寺で行われる「戸開け式」。冬の間閉じられていた本堂がこの日、行者や講の方たちにより開かれます。真っ暗な寺務所で住職から鍵を3本、当番の講の方に渡される「鍵渡し式」に始まります。鍵を持った信徒が人馬に乗り、提灯だけの灯りの中、本堂へかけ声上げて突き進みます。本堂の鍵が開けられると、そのまま一気に秘仏の役行者像の前までなだれ込まれます。



[夜間登拝_大峯山]

(2016.5.3)(天川村)



[山門(妙覚門)夜景_大峯山]

(2016.5.3)(天川村)



[戸開け待つ大峯山寺_大峯山]

(2016.5.3)(天川村)



[鍵渡し式 1_大峯山]

(2016.5.3)(天川村)



[鍵渡し式 2_大峯山]

(2016.5.3)(天川村)



[鍵渡し式 3_大峯山]

(2016.5.3)(天川村)



[鍵渡し式 4_大峯山]

(2016.5.3)(天川村)



[戸開け 1_大峯山]

(2016.5.3)(天川村)



[戸開け 2_大峯山]

(2016.5.3)(天川村)



[戸開け 3_大峯山]

(2016.5.3)(天川村)



[戸開け 4_大峯山]

(2016.5.3)(天川村)



[護摩供 1_大峯山]

(2016.5.3)(天川村)



[護摩供 2_大峯山]

(2016.5.3)(天川村)



[護摩供 3_大峯山]

(2016.5.3)(天川村)



[戸開けの朝_大峯山]

(2016.5.3)(天川村)



[ご来迎_大峯山]

(2016.5.3)(天川村)


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万部法要_大念仏寺

「万部おねり」とは聖聚来迎会と阿弥陀経万部会が融合された融通念佛宗総本山大念佛寺最大の伝統行事の通称名です。
 聖聚来迎会は無量寿経の中の「その人、寿(いのち)が終わる時にあたって、私は極楽浄土から二十五菩薩を従えて、その人を迎えに来るであろう」という阿弥陀仏の願いを具体的に表現した儀式であり、貞和五年(1349)3月15日「観音様の蓮台に乗り、阿弥陀如来のお導きに従って、生身のまま往生の本懐を遂げるまでの儀式を営んでみたい。聖聚来迎の様相を実際にこの眼で見、また世の多くの人々にも見ていただきたいものだ」と中祖法明上人自ら行者となり、臨終不退、一念往生、上品上生を遂げるまでの法明上人の堅固な意思により始まったことを起源としています。(平野大念仏寺のHPより引用)

奈良大和以外はほとんど撮影しないのですが、奈良には融通念佛宗が多くあり檀家を回られる「ご回在」を撮らせいただいていることもあり、その本山もと取材させていただきました。(撮影許可を得ております)



[万部おねり1_大念仏寺]

(2016.5.1)(大阪市)



[万部おねり2_大念仏寺]

(2016.5.1)(大阪市)



[念佛講_大念仏寺]

(2016.5.1)(大阪市)



[献花_大念仏寺]

(2016.5.1)(大阪市)



[法要_大念仏寺]

(2016.5.1)(大阪市)


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聖武祭_東大寺

東大寺の大仏(盧舎那仏)を造顕された聖武天皇の御忌法要。東大寺一山、末寺の僧侶、式衆らの練り行列があり、大仏殿で御忌法要が営まれます。鏡池水上舞台で舞楽の奉納も行われます。



[聖武祭 1_東大寺]

(2016.5.2)(奈良市)



[聖武祭 2_東大寺]

(2016.5.2)(奈良市)



[聖武祭 3_東大寺]

(2016.5.2)(奈良市)



[聖武祭 4_東大寺]

(2016.5.2)(奈良市)



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古くは背後の山から水をひいて、この地蔵菩薩に注いでいたと言うので、俗に濡れ地蔵と呼ばれている。この像は左手に宝玉、右手に鎖杖を持った半身彫の立像で、舟型に彫りくぼめているのが光背の部分である。背部の右側に「建長六年甲寅八月十五日建」と二行に陰刻されているので、鎌倉時代の造立であることが知られている。像の左右には各一体十王の立像と地蔵分身の小像が陰刻されている。
(現地の案内板から転用)



[濡れ地蔵]

室生ダム湖が増水される春から6月にかけて水没されますが、6月下旬ごろから徐々に姿を表されます。
(2016.5.27)(宇陀市室生)



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[慈光院]

(2016.5.25)(大和郡山市)



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