近撮_2016.10
このページには最近作を月ごとに撮影順に区分なしで掲示しております。
(取り急ぎにつき、ラージサイズにならないもの、コメントの無いものもありますが順次追加します)
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戸閉祭_櫛玉比女命神社

弁才天、南、的場、萱野の四大字のだんじりが伊勢音頭を唄いながら巡行します。宵宮の櫛玉比女命神社への宮入りは豪壮で、早打ちの太鼓と鉦の音とともに一気に拝殿に突っ込みます。名前の由来は村のみんなが戸を立てて(閉めて)祭りに参加したことによるとのことですが諸説あり定かではないようです。
祭の名称も「戸立祭」、「戸閉祭」、「戸たて祭り」と一定でないようです。
ほぼ毎年取材させていただいておりますので過去のもご覧ください。2013年に奈良日々新聞にも掲載しております。



[戸閉祭 1_櫛玉比女命神社]

軽快な鉦と太鼓に合わせて拝殿めがけて勢いつけて走り込みます。拝殿の階段の寸前で階段にぶつかるように止まります。
(2016.10.31)(広陵町)


[戸閉祭 2_櫛玉比女命神社]

(2016.10.31)(広陵町)


[戸閉祭 3_櫛玉比女命神社]

拝殿の階段にぶつかり止まったところ。庇に旗がぶち当たっています。
(2016.10.31)(広陵町)


[戸閉祭 4_櫛玉比女命神社]

伊勢音頭(正調と少し違うようですが)気勢を上げる若衆たち。
(2016.10.31)(広陵町)


[戸閉祭 5_櫛玉比女命神社]

一斉になだれ込み巫女さんのお祓いを受けます。
(2016.10.31)(広陵町


[戸閉祭 6_櫛玉比女命神社]

最後は4地区全員で輪になって伊勢音頭。
(2016.10.31)(広陵町)

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秋祭り_都祁水分神社・山口神社

都祁友田にある都祁水分神社から小山戸山口神社へのお渡り。
飛鳥時代に、小山戸の都祁山口神社の地に創祀されましたが、後に現在地(友田)の水分神社に遷座されたと伝わります。このことから例祭の前日(宵宮)、故里である山口神社に渡御し、一夜明けて水分神社に還幸することが慣例となったようです。親しみを込めて「神さんの里帰り」と云われています。
一説には、水分神社の秋祭りの前日に、男神さんが小山戸山口神社の女神さんのところへ出向かれ一泊され翌日に都祁水分神社へお戻りになるとも言われています。
本祭のお帰りになるお渡りは、旧都祁村、旧山添村、旧室生村から26大字が参加する大規模な祭礼。



[遷幸お渡り1_水分神社から山口神社]

(2016.10.29)(奈良市)


[遷幸お渡り 2_水分神社から山口神社]

(2016.10.29)(奈良市)


[遷幸お渡り 3_水分神社から山口神社]


(2016.10.29)(奈良市)


[還幸お渡り 1_山口神社から水分神社]

(2016.10.30)(奈良市)


[還幸お渡り 2_山口神社から水分神社]

(2016.10.30)(奈良市)


[還幸お渡り 3_山口神社から水分神社]

(2016.10.30)(奈良市)

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火祭り_田原

夕暮れに集落の上地区と下地区の頭屋さんから村の中程の高台に鎮座する菅原神社まで大きな松明を先頭にお渡りが行われます。松明は長さ7メートルの竹を結わえた大きな松明。頭屋さん、御供担ぎが続き、村人が提灯を手に手に続きます。
当屋さんの庭先で点火、二度三度と高く放り上げて出発。「カイト、ヨイト」のかけ声で神社へ向かいます。
上地区、下地区の二本の松明が出会うと、一気に高台に鎮座する菅原神社まで駆け上がります。この大松明は「燈登り(とのぼり)」と呼ばれ、それぞれ本殿前の左右に立てられ、祭りが終わるまで灯し続けられます。



[出立前_田原]
(2016.10.23)(宇陀市)


[火祭り 1_田原]
v
(2016.10.23)(宇陀市)


[火祭り 2_田原]
(2016.10.23)(宇陀市)


[御供担ぎ_田原]
(2016.10.23)(宇陀市)


[火祭り 3_田原]
神社へ一気に駆け上ります。
(2016.10.23)(宇陀市)


[燈登り(とのぼり)_菅原神社]
(2016.10.23)(宇陀市)

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秋祭り_桃香野八幡神社

桃香野の秋祭りには、能、子供狂言が奉納されます。
歴史は古く室町時代にまで遡るそうです。子供狂言が加わったのは昭和63年から。
神饌にも興味があり、カシラ芋で作られた神饌など見事な仕上げ。御供上げは頭屋宅(現在は集会所)から稚児や子供神輿など従え行列で行われます。



[御供上げ 1_桃香野八幡神社]
(2016.10.23)(奈良市月ヶ瀬)


[御供上げ 2_桃香野八幡神社]
(2016.10.23)(奈良市月ヶ瀬)


[能楽奉納_桃香野八幡神社]
(2016.10.23)(奈良市月ヶ瀬)


[子供狂言_桃香野八幡神社]
(2016.10.23)(奈良市月ヶ瀬)

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秋祭り宵宮_糸井神社

糸井神社は結崎宮とも呼ばれ春日大社傘下の由緒ある古社。結崎五垣内(市場、中村、辻、井戸、出屋敷)五組の当家はそれぞれ春日大明神、事代主命、大国主命、住吉大神、稲荷大明神の五分霊を各々一年間祀ります。祭りの前二週間当主宅でお仮屋を祀った後、当主の神さんを先頭に稲霊「みきいない(柳、神酒、稲束、カマス)」と御幣を持って、神社へお渡りが行われ、奉弊神送り神事が行なわれます。宵宮、本宮ともお渡り・神事が行なわれますが御幣と神酒の色が異なります。
2014年の写真も参照ください。



[御渡り 1_宵宮_糸井神社]
(2016.10.22)(川西町)


[御渡り 2_宵宮_糸井神社]
(2016.10.22)(川西町)


[奉幣神事_宵宮_糸井神社]
(2016.10.22)(川西町)


[献饌_宵宮_糸井神社]
献饌は頭屋と供だけで宵宮の夜中に行われます。一番当家の神饌12杯を五社に供えられ祝詞、撤饌、次に二番当家〜五番当家と続きます。夜中に献饌行事だけが行われるのは珍しいと思います。そもそもこの祭りが当家行事であることからでしょうか。
(2016.10.22)(川西町)

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なもで踊り_飽波神社

雨乞い成就を祝って踊られたと伝わります。日暮れの頃、鳥居の前で踊ります。起源はさだかでないようですが、明治の頃まで踊られていたとのこと。衣装や歌詞本など残されていたそうですが、踊りそのものは伝承されておらず、神社の絵馬から振り付けなどを復元されています。大和は古くから水の確保に苦労した土地柄、それだけに水への祈りは切実だったのでしょう。大和の各地で行われていたようです。
太鼓と歌にあわせ、黒い衣装の踊り手が輪になって踊ります。続いて善鬼が現れて雨を降らすと、早馬(はやうま)と呼ばれる鼓を持った人たちが跳び回ります。



[なもで踊り 1_飽波神社]
(2016.10.22)(安堵町)


[なもで踊り 2_飽波神社]
(2016.10.22)(安堵町)

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抜穂祭_大神神社

大神神社-大美和の杜神饌田にて秋の収穫に感謝し、稲を刈る神事。
収穫されたお米は、神社の祭典に使われ、またお酒にも使用されるとのこと。また稲わらは新年のしめ縄に使われるそうです。
豊年講の農家の方により播種、苗づくりから田植え、育苗など丹精込めてつくられたものです。
神事のあと、神饌田の稲を全員で借り入れされ、稲架けに架けられ天日干しされました。神官もご一緒に。



[抜穂祭 1_大神神社]
(2016.10.20)(桜井市)


[抜穂祭 2_大神神社]
(2016.10.20)(桜井市)


[抜穂祭 3_大神神社]
(2016.10.20)(桜井市)

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秋季大祭_脳天大神

金峯山寺の蔵王堂から西側へ急な坂、階段を下りた川沿いにある、金峯山寺の塔頭のひとつ。
ここは女性行者の修行の場でもあって、参拝者も女性が多いようでした。
首より上の病や悩み、それに賢くなるご利益があるそうです。
山伏問答、法剣作法、点火作法を撮らせていただきました。



[山伏問答_護摩供_吉野山]
修験者として知るべき知識を尋ねるテスト形式の問答であり、昔の修験者は、これによって相手が正しき行者なのか偽者かを判定したということにちなむもの。
20門ぐらいの中からその例としては
門者---修験道の開祖は如何に。
答者---修験道の開祖は役行者神変大菩薩なり。舒明天皇の六年一月一日大和の国茅原の里にご誕生。十七歳にして、葛城、顕の峰に抖そうし、十九歳にして大峰山に修行、密の峰を開き給う。斉明天皇の四年霊瑞を感じ、箕面山の瀧窟に於いて龍樹菩薩を拝して、修験の秘法をうけ給い、大峰順逆三十三度、御歳六十八歳にして箕面山天井ヶ岳に於いて昇天し給う。
最後に問者が
先程よりのお答え、まこと○○○配下の山伏たること疑いなし。然からば、しからば、お通りめされ、案内申す。と言い、結界の中に案内されるというもの。
(2016.10.19)(吉野町)


[宝剣作法_護摩供_吉野山]
(2016.10.19)(吉野町)


[点火作法_護摩供_吉野山]
(2016.10.19)(吉野町)

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秋祭り_吉野山

吉野山のすべての神社の神嘗祭で、五穀豊穣を感謝する祭り。吉野山の上町・中町・下町のそれぞれのふとん太鼓が参道を練り、蔵王堂前に集結します。祭礼神事は境内の天満神社で行われます。



[秋祭り1_吉野山]
下町(の組)
(2016.10.16)(吉野町)


[秋祭り2_吉野山]
中町(三丁)
(2016.10.16)(吉野町)


[秋祭り3_吉野山]
上町(ろ組)
(2016.10.16)(吉野町)

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翁舞_興ヶ原天満神社

柳生の東、布目川沿いに鎮座する興ヶ原(おくがはら)天満神社、その急な階段を登ると正面に社、左側境内に舞殿があります。ここで秋の祭礼の宵宮に翁舞が行われます。本殿から舞殿に据え付けられた御輿にあらかじめ神遷しが行われています。その神に奉納されます。奈良の何カ所かで翁舞がありますが、興ヶ原のはほとんど素人的な村人によって行われていて、観客もなし、素朴な感じでなかなかに好ましいものを感じます。



[翁舞 1_興ヶ原天満神社]
以前(平成18年まで)はオトナ衆と呼ばれる終身制の宮座の方々によって行われていましたが、現在は保存会を結成し、比較的若い方が翁を務めておられます。式三番が舞われます。
(2016.10.15)(奈良市)


[翁舞 2_興ヶ原天満神社]
(2016.10.15)(奈良市)


[翁舞 3_興ヶ原天満神社]
(2016.10.15)(奈良市)

2013年の記録
[舞殿_興ヶ原天満神社]
2013年に訪れた時は舞殿は茅葺きだったんですが、一昨年の造替の時に維持管理がたいへんだとのことで普通の屋根になってました。
(2013.10.19)(奈良市)

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宮入り_広瀬神社

私の地元、氏子でもある広瀬大社の秋祭り。特徴的なものもありませんが、二つの集落(城古、市場)から太鼓台が出ます。宵宮には提灯台、子供御輿と一緒に宮入りします。



[宮入り 1_広瀬神社]
市場の太鼓台は布団太鼓。担ぎ手が少ないので二つの集落が宮入り時には相互に応援されています。法被でわかります。
(2016.10.15)(河合町)


[宮入り 2_広瀬神社]
城古の太鼓台はかなり古いもののようです。その昔三郷町の村から買い入れたと伝わります。その証か、太鼓台には広瀬大社の紋(橘)と龍田大社の紋(モミジ)が混ざっています。
(2016.10.15)(河合町)


[宮入り 3_広瀬神社]
(2016.10.15)(河合町)


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題目立_八柱神社

題目立(だいもくたて)は、上深川の八柱神社で、かぞえ17歳の若者を中心に演じられる神事芸能で大人の仲間入りする儀式でもあります。竹垣で囲った小さな舞台で、烏帽子に直垂姿の若者が順にせりふを独特の節回しでろうろうと謡いついでいきます。演目は三つ伝わっていますが、今年は「大仏供養」でした。動きが少なくほとんど舞台の回りに立ったままで、最後の場面だけが舞台の中央で演じられます。
(国の重要無形民俗文化財。ユネスコ無形文化遺産)
ほぼ毎年撮影させていただいておりますので過去のもご参照ください。



[題目立 1_八柱神社]
(2016.10.12)(奈良市)


[題目立 2_八柱神社]
(2016.10.12)(奈良市)


[題目立 3_八柱神社]
最後に演じられるフショ舞。片手に扇を持ち、もう一方の手を腰にあてがい舞台板を激しく踏み鳴らしながら演者全員が唄う「ヨロコビうた」に合わせながら舞います。
(2016.10.12)(奈良市)


[番帳さし_題目立_八柱神社]
呼び出し役で、「一番清盛」「二番 小松重盛」と物語の順番に呼び出し、それぞれの役が独特の節回しで語っていきます。
(2016.10.12)(奈良市)


[支度_題目立_上深川]
(2016.10.12)(奈良市)


[頭屋渡し_上深川]
この日、題目立の前に、今年の頭屋から来年の頭屋さんへの引き継ぎの行事が行われます。甘酒の酌み交わされます。
(2016.10.12)(奈良市)

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宮座講宵宮祭_上之宮春日神社

桜井市上之宮の春日神社の秋祭り。10月11日に宵宮、12日が祭。祭の日に頭屋の引き継ぎも行われる。新頭屋の初めの仕事は9月28日に、石を拾いに吉野川に行くとこから始まるようです。(今回は充分には取材できていません)



[宮座講宵宮祭 1_上之宮春日神社]
(2016.10.11)(桜井市)


[宮座講宵宮祭 2_上之宮春日神社]
(2016.10.11)(桜井市)

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代々神楽_村屋神社

村屋神社に代々受け継がれてきた独自の神楽で変遷をたどりながら数百年間続いてきた伝統芸能。
「だいだい神楽」と読みますが、神社のHPなどには「代代神楽」と書かれていますが、境内に掲げられている説明では「太々神楽」とあります。さてさて。
一本剣の舞、薙刀の舞、矛の舞などに特徴が見られます。



[代々神楽 1_村屋神社]
(2016.10.10)(田原本町)


[代々神楽 2_村屋神社]
(2016.10.10)(田原本町)


[代々神楽 3_村屋神社]
(2016.10.10)(田原本町)

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蛇祭_倭文神社

昔このたりに大蛇がおり人に害を与えるていたのを、李源大師が打ち懲らしめたという謂われがあり。蛇祭は麦わらと竹で作った5メートルほどの大蛇を町内を回って境内におさめ祭礼中に火を放ち退治します。御供はサトイモの茎で作った「蛇形」や、サトイモや餅をつかったへのへのもへじの「人形御供(人身御供のなごりとも言われる)」などで本殿に荒々しく放り投げたりしながら献饌されます。



[行列 1_蛇祭_倭文神社]
(2016.10.9)(奈良市)


[行列 2_蛇祭_倭文神社]
(2016.10.9)(奈良市)


[ハナゴク_蛇祭_倭文神社]

ハナゴクと呼ばれる美しい小物の神饌。上段から順に盃、菊花、柳箸、茄子(なす)、飯の5種
(2016.10.9)(奈良市)


[神饌_蛇祭_倭文神社]

(2016.10.9)(奈良市)


[献饌_蛇祭_倭文神社]
献饌は荒々しく放り投げる様に行われます。神饌に直接手が触れないよう、着衣の袖で覆った手を使います
(2016.10.9)(奈良市)


[小角力_蛇祭_倭文神社]

拝殿の前で角力が奉納されます。取組みは幼児による小角力(しょうすもう)小学生による中角力(ちゅうすもう)青年による大角力が行われます。
(2016.10.9)(奈良市)


[大角力_蛇祭_倭文神社]
青年による大角力は今でいう相撲をとるというものではなく、矢角力とも言い、相撲神事として伝わるものでその昔は村の頭屋で行われていたものではないかと言われています。三回ほど扇子と刀のぐるりを回り扇子を持ち上げ、小さな矢を日の丸に突き刺すのを競うというもの。
(2016.10.9)(奈良市)


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神事相撲_奈良豆比古神社

神事相撲は各地の秋祭りに見られますが、その謂われ、形態も様々ですが、基本的には豊作に感謝し、奉納されるものだと思われます。実際に取り組みを行うものより、形式的なもの、芸能的なもの、歌舞音曲的なものの方が多いようです。奈良豆比古神社の神事相撲は本殿の前で、神主のハッケヨイ・ノコッタのかけ声で2人が榊を頭にして拝殿のぐるりを行き違いに三周回られます。



[神事相撲 1_奈良豆比古神社]
(2016.10.9)(奈良市)


[神事相撲 2_奈良豆比古神社]
頭に榊を掲げ2人はゆっくりと拝殿のまわりを「ホーオイ」のかけ声を交互に交わしながら三周回られます。「ホーオイ」は「穂多い」ではないかと言われています。
(2016.10.9)(奈良市)


[神事相撲 3_奈良豆比古神社]
神事の後、この一年間に生まれた子供を抱き上げ、成長を願います。力餅の「スモンノモチ」を賜ります
(2016.10.9)(奈良市)

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火祭り_往馬大社

往馬(いこま)大社の秋祭りで一般に火祭りと呼ばれています。高座の神前から火をいただき一気に境内から外まで走り抜けます。10秒の祭りと言われるほどにあっという間の神事です。もちろん古式に則った神事も多彩に行われますが、ほとんどが競争で成り立っており、昔から勝負祭りとか喧嘩祭りとも呼ばれてきたようです。
(奈良県無形民俗文化財)
2015年のこちらもご覧くださいませ




[火祭り 1_往馬大社]
(2016.10.9)(生駒市)


[火祭り 2_往馬大社]
(2016.10.9)(生駒市)

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天武忌_薬師寺

大講堂本尊である弥勒三尊像の御前に小倉遊亀画伯よりご奉納頂いた『天武天皇像』『持統天皇像』『大津皇子像』の御絵像がお祀りされ、天武天皇のご遺徳を偲ぶ法要が厳かな雰囲気の中、厳修されます。(薬師寺Hpより引用)。
境内では万燈会が催され白鳳伽藍を荘厳されます。



[献灯_薬師寺]
(2016.10.8)(奈良市)


[万灯籠 _薬師寺]
(2016.10.8)(奈良市)

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転害会宵宮_手向山八幡宮

東大寺の西方の転害門を中心に行われる転害会(てがいえ)は宇佐から八幡神の神迎えの様子を再現 した行事。
宵宮に八幡宮で宵宮祭が行われ、奉納行事なども行われます。



[祭列_手向山八幡宮]
(2016.10.4)(奈良市)


[神事_手向山八幡宮]
(2016.10.4)(奈良市)


[奉納行事_手向山八幡宮]
日本舞踊山村流上方舞の山村若女さんが奉納されました。
(2016.10.4)(奈良市)

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三日地蔵_丹生

丹生は昔から仏教の盛んなところでしたが明治十九年に廃仏毀釈の嵐の中で、村を挙げて改宗し神道になった。改宗して一切の仏事を廃したが、女性たちにより今も三日地蔵が残っています。村中の家々を三日ずつ順々に巡るのである。数ヶ月に一回は廻ってはくるものの、今どこにおられるかは誰もわざわざ話すことはなく、廻ってきて初めて分かるといいます。三日地蔵は女の守り神で、送り迎えお祀りも女性がされます。
次の家に到着すると、「お客さんですよ〜」とか「お地蔵さんですよ〜」とか言って玄関から入り、迎える家は「きはったで〜」「きてらんね〜」とごく自然な生活の一部になっているようです
過去にも取材させていただいたことありますが、久しぶりに訪ねました。
高齢化でおばあさんが担ぐのも大変で男衆が手伝ったり、車で運んだりと変わってきてはいます。
今回のおうちでも親戚の若奥さんに手伝ってもらっておられました。



[三日地蔵 1_丹生]
(2016.10.4)(奈良市)


[三日地蔵 2_丹生]
(2016.10.4)(奈良市)


[三日地蔵 3_丹生]
(2016.10.4)(奈良市)


[三日地蔵 4_丹生]
(2016.10.4)(奈良市)

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花切り行事_京終飛鳥神社

秋祭りは、地域の自治会などで運営されるお祭りと、1週間前に行われる伝承の宮座組織のお祭りとが混ざり合っているようです。
宮座-講員の行事には、梅の枝、切り花が神殿の左右に飾られます。
そのまま秋祭りまで飾りそなえられます。
この花は二月堂の修二会の椿の造花と同じで和紙で作られお供えされます。寺院でいうところの荘厳の役割と同じではないかと思われます。
菅原道真ゆかりの神社の所以で、梅であり、社前には石像の牛が居ます。



[ 花切り行事 1_京終飛鳥神社]
講員の方による花切り行事。梅の木は2本で今は針金の作り物。それぞれの木に紅と白の梅の花をつけ最後に大きな花を一輪つけて仕上げ。
(2016.10.2)(奈良市)


[ 花切り行事 2_京終飛鳥神社]

花は本殿の左右に設え、神事が執り行われます。(氷室神社の兼務社で大宮宮司)
(2016.10.2)(奈良市)



[ 講元の引き継ぎ_京終飛鳥神社]
この日に講元の引き継ぎが行われます。現在講員は6軒とか。神社の分霊を次の講元に引き渡し、一年間祀られます。
(2016.10.2)(奈良市)


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大祭_生駒山口神社

生駒山口神社の大祭では、櫟原集落の6つの垣内を5つに分け年交代でその年の当屋さんのお宅に御旅所(お仮屋)が設えられ、宵宮の6日前に神社からお渡りが行われ、宵宮に還幸のお渡りがあります。宵宮のお渡りでは男神は昼間に、女神は夜中に行われます。女神のお渡りは何人も(村人も)見てはならないことになっており(もちろん撮影禁止)村中の街灯も黒布で覆われ、真っ暗な中で静かに行われます。
(奈良県無形民俗文化財)
2015年の写真も合わせてご覧ください。



[ オハキツキ作り_生駒山口神社]
お仮屋はオハキツキといわれる特徴的な作りで、8本の新芽の出る広葉樹の若木を逆円錐状に立て、ぐるりを竹で編み上げ杉の葉を刺し込み仕上げるというなかなかに手の込んだものです。榊をオハキツキのてっぺんの竹筒に差し込み宵宮の還幸までお祀りされます。
(2016.9.25)(平群町)


[ オハキツキ_生駒山口神社]
(2016.9.25)(平群町)


[ お仮屋祭_生駒山口神社]
(2016.9.25)(平群町)


[ お渡り_生駒山口神社]
神社からお仮屋へのお渡り。御幣をつけた榊に神を遷し、当屋と敬用人が烏帽子、狩衣姿で提灯持ちら数人を従えて神社から当屋宅のお仮屋までお渡りされます。
(2016.10.2)(平群町)


[ 餅つき_生駒山口神社]
(2016.10.6)(平群町)


[ 頭屋夜景_生駒山口神社]
(2016.10.6)(平群町)


[ お渡り 1_生駒山口神社]
お仮屋から神社へのお渡り。女神さんの夜のお渡りは、深夜にお渡りされます。村人も見てはならないことになっています。もちろん撮影禁止です。 (記録用には許可を得て撮影させていただいておりますがアップはご遠慮させていただきます。)
(2016.10.8)(平群町)


[お渡り 2_生駒山口神社]
神社鳥居前で神さんのお戻りを神官が丁寧にお迎えされます。
(2016.10.8)(平群町)

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しめ縄用餅藁干し_興ヶ原

興ケ原の村の川沿いのアスファルト道になにか干しておられる。お米だと思うと脱穀したあとのワラ。
さてこれ干すだけならよくあるススキのような形などが普通だし。
丁寧に道に並べて上下ひっくりかえしたりしながら干しておられました。
お用月用のしめ縄用の餅藁を干しておられるとのこと。出荷されるそうです。



[しめ縄用餅藁干し_興ヶ原]


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