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大和路写真帳
過年分も合わせてご覧いただければ幸いです。(できるだけダブラないシーンを載せていますので)
フクマルコッコ_大和郡山市伊豆七条 |
大晦日の晩に福丸迎えをされるところは山添地方などにもありますが、盆地部では多分ここだけではないかと思います。 小学生の子供らが夕方から村の全戸を廻り「フクマルに着ました」と訪ねます。迎えるお家では門口や中庭に藁束を準備し点火されます。子供達は青竹でその火を突くようにしながら「フクマルコッコ〜フックマルコッコ〜」と10回ぐらい唱和します。終わると駄賃やお菓子をいただき、「よいお年を」と言って次のお家に向かいます。 ただ、この行事も少子化で子供の数も減り、迎えるお家の高齢化もあり、藁束を用意されないお家もあったりで継続が難しくなってきているようです。今年もこの兄弟3人だけで、来年は2人になるようです。 |
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[フクマルコッコ_伊豆七条 1] |
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[フクマルコッコ_伊豆七条 2] |
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[フクマルコッコ_伊豆七条 3] |
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注連縄_大和郡山市番条 |
正月の注連縄、若竹に藁を暖簾状に編み上げ、ゆずり葉、ウラジロ、だいだいに炭の包みをつけて門口に飾られます。大和郡山あたりの神社にはいくつかありますが、一般民家では少なくなっているようです。当地でも旧家2軒ぐらいに減っています。こちらのお家では門屋(表門)と母屋の2箇所に懸けられます。 この注連縄を「ドウガイ」と呼ばれるところもありますが、こちらでは単に「しめなわ」とおっしゃってるようです。 |
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[注連縄_番条 1] |
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[注連縄_番条 2] |
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砂道_大和郡山市 |
大和郡山市観音寺町の八幡神社、野垣内町の春日神社、白土町の白坂神社などでは正月を迎える準備の中、境内と鳥居前の道あたりに、輪番の村神主さんにより砂を敷いての道作りが行われます。昔は村の全戸の戸口から神社まで敷かれていたそうです。謂われは定かでないようですが、歳神さんの通る道、村人のお参りの道などと言われています。 |
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[砂道_野垣内 春日神社 1] |
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[砂道_野垣内 春日神社 2] |
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[砂道_観音寺八幡神社 1] |
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[砂道_観音寺八幡神社 2] |
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[砂道_白坂神社 1] |
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[砂道_白坂神社 2] |
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申祭り_山添春日神社 |
地元の菅生春楽座による能楽の奉納があります。 |
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[申祭り 1_山添春日神社] |
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[申祭り 2_山添春日神社] |
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[申祭り 3_山添春日神社] |
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[申祭り 4_山添春日神社] |
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[申祭り 5_山添春日神社] |
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[申祭り 6_山添春日神社] |
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[申祭り 7_山添春日神社] |
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いのこ_下平田 |
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[いのこ 1_下平田] |
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[いのこ 2_下平田] |
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[いのこ 3_下平田] |
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流鏑馬まつり_唐古・鍵遺跡史跡 |
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[流鏑馬まつり_唐古・鍵遺跡史跡] |
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おん祭_春日大社 |
長承年間には長年にわたる大雨洪水により飢餓が相次ぎ、天下に疫病が蔓延したので、時の関白藤原忠通公が万民救済のため、若宮の御霊威にすがり、保延元年(1135年)旧暦二月二十七日、現在地に大宮(本社)と同じ規模の壮麗な神殿を造営しました。若宮の御神助を願い、翌年(1136年)旧暦九月十七日、春日野に御神霊をお迎えして丁重なる祭礼を奉仕したのが、おん祭の始まり。御霊験はあらたかで長雨洪水も治まり晴天が続いたので、以後五穀豊穣、万民安楽を祈り大和一国を挙げて盛大に執り行われ、八百七十有余年にわたり途切れることなく今日に至っています。 説明コメントは春日大社発行の解説書、ホームページを参考、引用させていただいております。 12月15日〜18日にわたって多彩に行われます。同時進行のものもあり、また撮影禁止の神事や撮影のはばかれるものもあり全容は記録できません。本年撮影させていただいたその一部を御覧いただきます。出来るだけ違う場面をアップするようにしていますので、過年度の分についてもご参照ください。 |
大宿所祭 |
大宿所は、おん祭の願主役(がんしゅやく)、御師役(おしやく)、馬場役(ばばやく)を勤める大和士が、神事奉仕に当って精進潔斎を行う参籠所である。(旧遍昭院趾)「センジョ(遍昭)行こう マンジョ(万衆)行こう センジョの道に何がある 尾のある鳥と尾のない鳥(兎)と センジョ行こう マンジョ行こう」と子供に囃されたのは懸物(かけもの)のことで大和の大小名より献じられた雉や兎が懸け並べてお供えされたのである。現在も地元篤信者による懸物が境内に寄進されている。 |
おん祭の無事執行を祈願して行われる大宿所祭の前に参勤者を清める御湯立(みゆたて)神事。勤められる巫女は特別な一族だけに伝承されています。唱詞(となえことば)を奏上しながらたぎる湯釜から笹で湯を振りまかれます。 |
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[御湯立 1_大宿所祭] |
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[御湯立 2_大宿所祭] |
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[御湯立 3_大宿所祭] |
宵宮詣 |
宵宮に大和士や奉仕者が若宮社に詣でる。田楽座による芸能集団は華やかな五色のご幣をおし立てて、綾藺笠(あやいがさ)をつけ、編木(ささら)・笛・太鼓を持 つ集団が田楽座である。おん祭で行われる芸能のうちで最も興福寺と深い関係をもってきた芸能集団で、 かつては祭礼当日までのさまざまな行事に加わっていたが、今でも16日には本社及び若宮社への宵宮詣を行う。 |
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[大和士宵宮詣_若宮社] |
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[田楽座宵宮詣 1_若宮社] |
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[田楽座宵宮詣 2_若宮社] |
宵宮祭 |
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[献饌 1_宵宮祭_若宮神社] |
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[献饌 2_宵宮祭_若宮神社] |
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[神楽_宵宮祭_若宮神社] |
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お渡り式 |
多くの例では、神様が御旅所へ遷られる行列を「お渡り式」と言われますが、おん祭のお渡り式は、すでに遷幸の儀により御旅所に遷られている若宮のもとへ、祭礼に加わる人々や芸能集団が社参する行列のことを言います。近年に加わったという新しいものもありますが、第一番の日使(ひのつかい)から十二番の大名行列までの多くは古式にのった伝統の行列。 |
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[頭屋児(とうやのちご)] |
お渡り式の険番とも言える頭屋児(とうやのちご)。影向の松(ようごうのまつ)への往き帰り。神聖な扱いで足を地に着けないように人馬に乗せて。 |
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[馬長児(ばちょうのちご)] |
(2019.12.17)(奈良市) |
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[子供大名行列] |
大名行列は、江戸時代からお渡りに加わったもので、武家の祭礼の伝統を大和国内の郡山藩・高取藩などが受け継いで供奉した。一時衰退してい たものを昭和54年に奈良市内の青年達の手によって大名行列保存会が 結成され、「ヒーヨイヤナー」「ヒーヨイマカセー」「エーヤッコラサノサー」の掛け声が聞かれるようになった。 |
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[競馬1] |
(2019.12.17)(奈良市) |
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[競馬 2] |
(2019.12.17)(奈良市) |
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