[おん祭・春日大社]

長承年間には長年にわたる大雨洪水により飢餓が相次ぎ、天下に疫病が蔓延したので、時の関白藤原忠通公が万民救済のため、若宮の御霊威にすがり、保延元年(1135年)旧暦二月二十七日、現在地に大宮(本社)と同じ規模の壮麗な神殿を造営しました。若宮の御神助を願い、翌年(1136年)旧暦九月十七日、春日野に御神霊をお迎えして丁重なる祭礼を奉仕したのが、おん祭の始まり。御霊験はあらたかで長雨洪水も治まり晴天が続いたので、以後五穀豊穣、万民安楽を祈り大和一国を挙げて盛大に執り行われ、八百七十有余年にわたり途切れることなく今日に至っています。

説明コメントは春日大社発行の解説書、ホームページを参考、引用させていただいております。
詳しくは春日大社の公式サイトをご参照ください。
http://www.kasugataisha.or.jp/onmatsuri/o_index.html


お渡り式

多くの例では、神様が御旅所へ遷られる行列を「お渡り式」と言われますが、おん祭のお渡り式は、すでに遷幸の儀により御旅所に遷られている若宮のもとへ、祭礼に加わる人々や芸能集団が社参する行列のことを言います。近年に加わったという新しいものもありますが、多くは古式にのった伝統の行列。


[頭屋の児]
おん祭には時代行列や田楽、能など種々奉納されますが、「影向(ようごう)の松」の下で行列を検分するなど重要な役割を果たす頭屋の児(とうやのちご)。この年は若宮出現千年目ということで120年ぶりに復活されたそうです。選ばれた児は清められ、このように顔も見えないくらいの装束で行列を検分されていました。(2003.12.17)


[物詣行列]
(2006.12.17)


[梅白枝と祝御幣]
その先頭集団では梅白枝(うめのずばえ)と祝御幣(いわいのごへい)を掲げ、赤衣(せきえ)に千早という白布を肩にかけ先を長く地面に引いて進みます。
(2006.12.17)


[拝殿八乙女]
5人の巫女が大きな白い被衣(かずき)をいただき、馬に乗って進まれます。この巫女は拝殿八乙女といい、風流傘を差しかけられながら進みます。春日大社では巫女のことを「みかんこ」と言われるそうです。
(2006.12.17)


[十列児]
十列児(とおつらのちご)は4人。馬上で凛々しく、頭の巻えい冠(けんえいかん)には櫻の造花。御旅所では「東遊(あずまあそび)」を舞います。
(2006.12.17)


[田楽座]
おん祭りで行われる芸能のうちでも最も興福寺に深い関係をもってきた集団で、初宮神社への初宮詣や宵宮祭、奉御旅所祭での奉納など重要な役割を担っている。綾藺笠(あやいがさ)をつけ、ささら、笛、太鼓を持つ。中でも大きな花笠を頭上に乗せ高足の笛役は人目を引きます。この花笠は奈良一刀彫りの起源とも云われています。
(2008.12.17)


[競馬]
御旅所近くの馬出橋をスタートに勝敗榊までの勝敗を競う。この左右の馬の勝負によって、御旅所祭で奉納される舞楽の左舞の蘭陵王と右舞の納曽利の順番が決められる。
(2008.12.17)


[流鏑馬]
この年は若宮御出現から千年目ということで、様々な特別事業が企画され、そのひとつとして小笠原流流鏑馬(やぶさめ)が行われました。春日大社参道の一の鳥居から二の鳥居に向かって疾走する馬上から三つの矢を次々に射っていく豪壮なものです。
(2003.12.17)



御旅所祭

お旅所の正面の一段高い所に若宮神の行宮(あんぐう)があり、その前に小高く約五間(9メートル)四方の芝舞台がある。その前の左・右に大きな「だ太鼓」が据えられています。
お旅所祭は、だ太鼓が打ち鳴らされ、奏楽のうちに神饌が捧げられ、続いて宮司がご幣を捧げ、祝詞を奏上してのち行宮の下に座を進め、神職が退いたあと日使の奉幣・祝詞があり、各種団体の代表、稚児や願主投、大和士などの拝礼がおこなわれる。
このあと神楽が舞われ、そして、田楽・細男・猿楽(能楽)・舞楽など、午後11時近くまで各種神事芸能が奉納される。まさに生きている芸能の歴史を目のあたりにするようで、けだし圧巻である。


[田楽座]
田楽の起源については、神に五穀豊穣を祈る楽であるとか、農民を慰労するために演じた所作であるなど種々の説がある。この田楽はおん祭りが行われた当初より奉納されており、おん祭りで行われる芸能のうちでも最も興福寺に深い関係をもってきた集団で、初宮神社への初宮詣や宵宮祭、奉御旅所祭での奉納など重要な役割を担っている。
(2008.12.17)


[蘭陵王]
昔、中国北斉の皇族蘭陵王(らんりょうおう)長恭(ちょうきょう)があまりにも美貌なので、戦の際にはいつも恐ろしい面をかぶって戦ったという故事にちなんで舞われます。勇壮かつ華麗な舞で、舞楽中最も代表的とも云える一曲です。
(2007.12.17)


[細男]
細男(せいのお)という一座。白い浄衣を着けた6人の舞人が白い布を目の下に垂らし、うち二人が小鼓を胸から下げ、二人は素手でいる。あとの二人は笛。小鼓を打ち、袖で顔を覆いながら進み、また退きして拝舞する素朴なものですが、独特の雰囲気を醸し出す実に神秘的な舞。
(2006.12.17)


[舞楽(萬歳楽)_お旅所祭]
(2007.12.17)


[舞楽(和舞)_お旅所祭]
(2007.12.17)


[舞楽(長保楽)_お旅所祭]
(2007.12.17)



宵宮祭


[八幡詣]
大和士が流鏑馬児とともに神事参勤の無事を祈って、手向山八幡宮へ参られる。
(2006.12.16)


[献饌_宵宮祭]
おん祭の神饌は他に見ない特殊神饌が多い。宵宮祭は遷幸の儀に先立ち、若宮神前に「御戸開(みとびらき)の神饌」を奉じ祭典の無事執行を祈る行事。暮れなずむ頃、若宮本殿に静かに献遷される様子は厳粛なものです。
(2007.12.16)


[田楽座宵宮詣]
神事参勤の無事を祈って田楽座が本社と若宮で田楽を奉納する。
(2007.12.16)


[祭列_宵宮祭]
宵宮祭を終えた神職の列
(2006.12.16)

大宿所祭


[御神酒_大宿所祭]
おん祭の無事執行を祈願して行われる大宿所祭。滞りなく終え、御神酒が奉参者に振る舞われます。大和士(やまとざむらい)に振る舞われるところ。その盃台も奈良人形や見事な造花で飾られています。
(2006.12.15)


[御湯たて1_大宿所祭]
おん祭の無事執行を祈願して行われる大宿所祭の前に参勤者を清める御湯立(みゆたて)神事。勤められる巫女は特別な一族だけに伝承されているそうです。唱詞(となえことば)を奏上しながらたぎる湯釜から笹で湯を振りまかれます。湯立巫女の腰に巻くわらの帯は“サンバイコ”と言い安産の霊験あらたかなりとのこと。(2005.12.15)



[御湯立て2_大宿所祭]
(2008.12.15)


[懸鳥_大宿所祭]
おん祭に供えられる供物。これらを懸鳥(かけどり)と云います。祭の大役である大和士(やまとざむらい)の参籠所「大宿所」に供えられます。大和のわらべ歌にも♪尾のある鳥と尾のないとりと〜♪と唄われています。昔はキジ、ウサギ(尾のない鳥)、タヌキ、タイなど供えられていたそうです。今風に冷凍してありました
(2007.12.15)

後宴能

おん祭では17日に仮屋で御旅所祭が行われ、種々の伝統芸能が奉納されますが、若宮が本宮へお帰りになった(還幸の儀)翌日、仮宮の前の舞台では後宴能が催されます。還幸の後であり、お仮屋を背に能や狂言が行われます。


[後宴能_敦盛_御旅所]
この年の能は「敦盛」。寒風の中、冬陽を受けながらの能もまた違った趣があります。
(2005.12.18)


[狂言_後宴能]
(2008.12.18)


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