春日若宮おん祭_春日大社

暁祭

真っ暗な中、遷幸の儀で若宮神が御旅所に着かれるのは夜中0時頃。御旅所仮御殿に入御の後、御殿の中央の瓜灯籠に灯を灯し暁祭が執り行われます。献饌、神事に続き巫女による社伝神楽が奏せられます。


[神楽奉納_暁祭]
(2009.12.17)(奈良市)

長承年間には長年にわたる大雨洪水により飢餓が相次ぎ、天下に疫病が蔓延したので、時の関白藤原忠通公が万民救済のため、若宮の御霊威にすがり、保延元年(1135年)旧暦二月二十七日、現在地に大宮(本社)と同じ規模の壮麗な神殿を造営しました。若宮の御神助を願い、翌年(1136年)旧暦九月十七日、春日野に御神霊をお迎えして丁重なる祭礼を奉仕したのが、おん祭の始まり。御霊験はあらたかで長雨洪水も治まり晴天が続いたので、以後五穀豊穣、万民安楽を祈り大和一国を挙げて盛大に執り行われ、八百七十有余年にわたり途切れることなく今日に至っています。

説明コメントは春日大社発行の解説書、ホームページを参考、引用させていただいております。
詳しくは春日大社の公式サイトをご参照ください。
http://www.kasugataisha.or.jp/onmatsuri/o_index.html


12月15日〜18日にわたって多彩に行われます。撮影禁止の神事や撮影のはばかれるものもあり全容は記録できません。本年撮影させていただいたその一部を御覧いただきます。過年度の分についてはこちらもご参照ください。

お渡り式

多くの例では、神様が御旅所へ遷られる行列を「お渡り式」と言われますが、おん祭のお渡り式は、すでに遷幸の儀により御旅所に遷られている若宮のもとへ、祭礼に加わる人々や芸能集団が社参する行列のことを言います。近年に加わったという新しいものもありますが、第一番の日使(ひのつかい)から十二番の大名行列までの多くは古式にのった伝統の行列。


[馬長児(ばちょうのちご)_お渡り式]
山鳥の尾を頂に立てたひで笠をかぶり、背中に牡丹の造り花を負った騎馬の美しい少年は馬長児。もとは興福寺学侶が頭人となり稚児を出していた。そのうしろには五色の短冊をつけた笹笠を持ち、龍の造り物を頭にいただいた従者が二人ずつ従う。
(2009.12.17)(奈良市)


[田楽座_お渡り式]
華やかな五色の御幣を先頭にあやい笠をつけ、編木(ささら)、笛、太鼓を持つ集団。おん祭で行われる芸能のうちでもっとも興福寺と深い関係をもってきた芸能集団。16日の宵宮詣、お渡り式に先立っての初宮詣、お渡り式、お旅所祭で芸能の奉納を繰り広げる。奈良一刀彫りの起源といわれる人形を飾った大きな花笠を頭上に乗せた笛役の二藹(にろう)はひときわ人目をひく。
(2009.12.17)(奈良市)


[流鏑馬(やぶさめ)_お渡り式]
赤の水干の揚児(あげのちご)、白の水干の射手児(いてのちご)と呼ばれる稚児による流鏑馬。一の的から三の的まで順次射ながら進んで行く。
(2009.12.17)(奈良市)


[競馬_お渡り式]
赤と緑の錦地の装束に身を固め、細えい冠をつけた騎者による競馬。かっては5組行われたが現在は3組により馬出橋から勝負榊までを競い合う。競馬の勝負によりお旅所祭での左舞の蘭陵王(らんりょうおう)と右舞の納曽利(なそり)の順番が決められる。
(2009.12.17)(奈良市)


[巫女_お渡り式]
白の被衣(かずき)をいただき風流傘を差しかけながら騎馬で進む巫女。春日大社では巫女を伝統的にミカンコと呼ぶ。拝殿八乙女、辰市の神子、郷の神子、八島の神子、奈良神子が参勤する。
(2009.12.17)(奈良市)

お旅所祭

お旅所には正面の一段高い所に若宮神の行宮があり、その前に小高く約五間四方の芝舞台がある。その前には左右に「だ太鼓」が据えられている。お渡りの行列がほぼ終わる頃、左右の「だ太鼓」が打ち鳴らされ、奏楽のうちに神様に神饌が供えられる。このお供えは、お米を青黄赤白に染め分けて飾る「染御供(そめごく)」という珍しいものである。続いて神職らにより神事が執り行われる。(神事については発表を控えさせていただきます)このあと「神遊(かみあそび)」がなされ神楽や田楽、舞楽など23時近くまで各種芸能が奉納される。


[神楽_お旅所祭]
神事につづき巫女による神楽が奉納されます。正装した6人の巫女が「進み歌」に合わせて、楽舎から舞台まで敷き延べられたゴザの上を、檜扇を胸にかざしてしずしずと進む。舞は、二人舞の「神のます」、一人舞の「松のいはひ」、六人舞の「宮人」、四人舞の「祝言(せんざい)」の四曲。お旅所における神楽は、春日大社の多くの祭典のなかでも最も大儀で華やいだもので、その装束も最も格式のあるものを用いる。
(2009.12.17)(奈良市)


[東遊(あずまあそび)_お旅所祭]
神楽が終わって、行宮の瓜灯籠と舞台の周囲に設けられた篝火に火が入れられると東遊が始まる。安閑天皇の御代、駿河国の有度浜に天女が降り、舞い遊んだという故事から起こった東国の風俗舞といわれる。青摺の袍に太刀を佩用し、巻えいの冠をいただいた舞人四人(童児)が凛々しく舞う。子供が舞うのは他に例がなく、めずらしい。
(2009.12.17)(奈良市)


[田楽座_お旅所祭]
田楽の起源については、神に五穀豊穣を祈る楽であるとか、農民を慰労するために演じられた所作であるとか、田舞から出たもの、又は散楽から転じたものなど種々の説がある。
大きな五色の御幣の奉納のあと、ササラや刀玉などを使った芸が奉納される。
田楽座の奉納のころから暮れ始め、篝火に映える。
(2009.12.17)(奈良市)


[和舞(やまとまい)_お旅所祭]
和舞は大和の風俗舞で、春日社では古くから行われてきた。舞人は巻えいの冠に榊の枝や檜扇をもち、青摺の衣、虎皮の尻鞘で飾られた太刀を佩用する。
(2009.12.17)(奈良市)


[細男(せいのう)1_お旅所祭]
神功皇后の故事にちなむもので、筑紫の浜で、ある老人が「細男を舞えば磯良と申す者が海中より出て千珠、満珠の珠を献上す」と言ったのでこれを舞わしめたところ、磯良が出てきたが顔に貝殻がついていたので覆面をしていたいう物語が伝わっており、八幡神系の芸能と考えられている。白い浄衣を着けた六人の舞人が白い布を目の下に垂らし、うち二人が小鼓を打ち、袖で顔を覆いながら進み、また退きして拝舞する素朴なものであるが、独特の雰囲気をかもし出す実に神秘的な舞である。我が国芸能史のうえでも他に遺例のない貴重なものである。
(2009.12.17)(奈良市)


[細男(せいのう)2_お旅所祭]
(2009.12.17)(奈良市)


[納曽利(なそり)1_お旅所祭]
舞楽は、飛鳥、白鳳から奈良時代にかけて古代朝鮮や中国大陸から伝えられ、わが国において大成されたもので、のちに日本で作られたものを含めて、その伝来や特徴から左舞及び右舞に分けられている。
納曽利は右舞で、竜の舞い遊ぶさまを表した曲と言われる。竜を象った吊りあごの面をつけ銀色の桴(ばち)を持って舞う。
(2009.12.17)(奈良市)


[納曽利(なそり)2_お旅所祭]
(2009.12.17)(奈良市)


[蘭陵王(らんりょうおう)_お旅所祭]
中国・北斎の王、蘭陵王長恭という勇将が戦いの終わったとき、諸軍士と平和を寿いだといわれている舞である。長恭は美青年であったため戦場に赴くときは、いつも恐ろしい面をつけ軍を指揮し、その武勇は轟いていたという。竜頭を頭上にし、あごをひもで吊り下げ金色の面をつけ、金色の桴をもち勇壮に舞う。舞楽の中でも最も代表的なもののひとつである。
(2009.12.17)(奈良市)


[散手(さんじゅ)_お旅所祭]
神功皇后の時に率川明神が先頭にたって軍士を指揮したさまを表したものといわれている。赤い隆鼻黒髭の威厳のある面をつけ鳥甲を被り太刀を佩用し鉾をもって舞う。
(2009.12.17)(奈良市)

後宴能

おん祭の奉仕者の労をねぎらうために行われるお能。前日の夜中に若宮神が本殿へ戻られたあとに行われるので、御殿を背に奉仕者、参観者の方に向かって演じられます。冬陽が差す中、芝舞台に板敷きの舞台でおこなわれます。


[演目「葛城」_後宴能]
(2009.12.18)(奈良市)


[演目「生田」_後宴能]
(2009.12.18)(奈良市)


[狂言「呼声」_後宴能]
(2009.12.18)(奈良市)

大宿所祭

おん祭の無事執行を祈願する大宿所祭。大宿所はおん祭の願主役、御師役、馬場役を勤める大和士(やまとざむらい)が神事奉仕に当たって精進潔斎を行う参籠所。


[御湯立て1_大宿所祭]
大和士、大宿所詣行列、一般参拝者のための御湯立てが昼夜三回行われる。ソネッタンと呼ばれるこの湯立巫女の腰に巻く藁のサンバイコは安産の霊験あらたかなりとお守りにされる。
(2009.12.15)(奈良市)


[御湯立て2_大宿所祭]
(2009.12.15)(奈良市)


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