栞・・・ 不治の病に冒されながら、奇跡の生還を果たした少女。もう三学期が終ろ

うとしていた時に俺の元に帰ってきてくれた。あの時は嬉しくて、栞共々思う存分泣い

たっけ。

 それからはもう来ることのないと思っていた時間を栞と二人と過ごした。それだけで

幸せだった。他に何もいらなかった。

 あんなぬいぐるみなんていらなかったんだ・・・

 

 

 呪いのぬいぐるみ 第1話

 

 

 短い春が駆け抜けて初夏に差しかかる頃、俺は栞と商店街にいた。栞はやっと着なれ

た夏服のスカートをなびかせ、俺の手を引っ張っていく。

「着きました、今日こそ買ってもらえますー」

 と嬉そうな栞。反対に俺はあまり乗り気ではなかった。

 そこは一件のお店。ショーウインドウには問題のぬいぐるみが相変わらず偉そうに存

在している。

 

 

 このぬいぐるみは、一週間の約束で栞との時間を共有していたときに見つけた物だ。

定価50万円が8000円で売られていることから、思わず呪われた人形と言ってし

まった品物。ぬいぐるみなのに人形と言ってしまったところに俺の動揺が感じられる。

 それを聞いた栞はかっこいいといい、遂には欲しいと言い出したのだが、その時は

買わずに済んだ。

 

 それっきりぬいぐるみのことは忘れていたが、新学期が始まってから一ヶ月半が経過

した頃、思い出すことになる。

 初めてといっていい学校生活に少し疲れた栞を元気付けようと、退院祝いと称して何

でも買ってやると言ったのが発端だった。

「あのぬいぐるみが欲しいです」

「まさか・・・呪われたぬいぐるみか?」

「呪われたと決まった訳ではありません」

「うーん、今月はもう小遣いがないから、来月まで待ってくれ」

「解りました、来月ですね。楽しみです」

 何でも買うと言った手前、断ることが出来ず、取り敢えず時間を稼いでおいた。

 

 それから幾度となく、ショーウインドウで偉そうに存在してるぬいぐるみと対面した。

だが見れば見るほど不吉なものを感じる。いくら栞の願いとはいえ、これをプレゼント

するのは気が進まなかった。

 そこで売れてしまうことを願っていたが、ぬいぐるみはショーウインドウに居すわり

続け、とうとう月が変わってしまった。

 

 

 それからは、ぬいぐるみが売れてしまう奇跡を信じて、栞をはぐらかす毎日。

「祐一さん、あのぬいぐるみを買いに行きましょう」

「今日は天気がいいから、公園でモデルをしてやるぞ」

「祐一さん、今日こそは・・・」

「今日は百花屋で新メニューが発売されるから、香里と名雪を誘って行こうな」

「祐一さん・・・」

「今日はアイスクリームの特売があるから、たくさん買って栞の部屋で食べような」

 しかし、これも限度がある。

「祐一さん、今日は絵も描きませんし、アイスクリームも食べません。ですから、あ

のぬいぐるみを買いに行きましょうね」

 先にこう言われては、はぐらかすことは出来ない。栞を説得するしかなかった。

「なあ栞、違うぬいぐるみにしないか。大きなキリンのぬいぐるみが良さそうだぞ」

「あのぬいぐるみがいいです」

「違う店だが、実物大のオオアリクイのぬいぐるみがあったぞ。あれなら栞のセンスに

も合うんじゃないか?」

「私のセンスはまともじゃないと、言いたいんですか?」

「そんなことないぞ」

「・・・祐一さん、私にプレゼントするのが嫌なんですか?」

「だから今になって、いろいろ言うんですね。嫌ならはっきり言って下さい・・・」

「嫌じゃないぞ。ただ呪われたぬいぐるみは止めた方がいいと思っただけだ」

「呪われたぬいぐるみって、かっこいいですよ」

「頼むからまともな物をプレゼントさせてくれ・・・」

「楽しみにしてたのに・・・」

 そうをつぶやいた栞は、うつむいて震え出した。こ、これはやばいぞ。

「そんなこと言う人嫌いです!買ってくれないなら、もう一緒に登校しません!もう

お弁当を作りません!もうデートしません!もうキスしません!もう・・・」

「わぁぁぁ、お、落ち着け栞!」

 これ以上喋らせると何を言い出すやら。

 だが栞はとどめとばかり、上目使いに目をうるうるさせながら迫ってくる。

「祐一さんは、私のこと嫌いになったんですね・・・」

「そ、そんなことないぞ、栞のことは大好きだぞ」

「じゃあ、あのぬいぐるみ買いに行きましょうね」

 さっきの表情とは一編、満面の笑みを浮かべて栞が手を引く。ここまでされては、俺

に断る術はなかった・・・

 

 

「さあ、お店に入りましょう」

 栞の声で現実に引き戻される。こうなっては観念するしかない。

 

 

 ぬいぐるみを抱えて前が見えない栞を家まで送る帰り道、

「うれしいです、祐一さん大好きです」

 栞は本当に嬉しそうだが、ぬいぐるみが栞の顔を隠していて、まるでぬいぐるみが

喋っているようだ。そう考えると栞の声も何か不気味なものに思えて、ほんとに呪い

のぬいぐるみじゃないかと考え込んでしまう。

「ふかふかです」

 俺がそんなことを考えてるとも知らず、栞は幸せの中にいた・・・

 

 

 第1話完

 

 

☆あとがき

 漱石タラちゃんです。

 初めてのKanonSSがいよいよ始まりました。一応美坂姉妹が主役のつもりですが、

今回は栞だけです。香里は第二話から登場します。

 これから当然事件が起こるわけですが、ギャグ系SSを目指してますので、そんな

深刻な話にはなりません。さてどんなことが起こるのか?第2話をお楽しみに。

 

 

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