上山城をゆく

(かみのやまじょう)

上山城は、室町時代の1400年前後(応永年間初期)に、羽州探題で最上氏の祖、斯波兼頼の曾孫里見満長が初めて着封し、上山殿と称し虚空蔵山に山城を築いたのが初めとされ、当時は高楯城または亀ヶ岡城とも言われていた。
1514年(永正11)には、伊達稙宗(たねむね)に攻略され、翌年和睦し返還する。5年後に再び攻略されたが、1535年(天文4)満長の子孫武衛義忠が挙兵して奪還した。
同年高楯城を廃して、新たにこの地天神森に平山城を築き、月岡城とも称した。
その後、城主は武衛氏三代、里見氏、1622年(元和8)最上家改易後、能美松平氏、蒲生氏を経て、土岐氏二代が領した。
17世紀の後期には、城郭として最も整備され、白壁の城壁をめぐらし、後景には四季折々の緑や紅葉に映えた上山城は、小藩(2万500石)ながら奥羽の名城と称されていたと伝えられている。
しかし1692年(元禄5)土岐氏が転封直後、幕府の命により跡形もなく破壊された。以来上山藩は金森氏、藤井松平氏(3万石)10代の治領下で170年余年間、代々城の再建が宿願であったが、明治維新まで一部を修復するに止まり、再建されることはなかった。
周囲の堀も、明治5年に埋め立てられ、城の西側に僅かに内堀の名残を留めている。

現在の上山城は、月岡公園および月岡神社境内となり昭和57年に旧二の丸跡に三層の模擬天守閣が290年ぶりに再建された。上山城の内部は、郷土歴史資料館となってあり、季節によって、雛人形展や鎧などの収蔵品展、刀剣展といった催しが行われている。    

雨の中我々のお城めぐりツァー一行が上山城を目指し「月待坂」を行く。
上山城(月岡城)本丸跡は築城以来、天神森と言われていたが、 天文年間に城が築かれると月岡と呼ばれるようになった。 この地から眺める名月はすばらしく、それが地名の由来となっている。
坂を登ると城址の中に「月岡神社」がある。
月岡神社を過ぎると目の前に天守閣が現れる。
東方面(城入口)からの上山城
上山城(資料館)の入口
資料館にある「上山城の模型」
天守閣と付櫓を眺める
天守閣
天守閣から眺めた上山市内風景
天守から二の丸方向を見たところ。間の堀切に橋が架かっている。
本丸土塁跡
二の丸土塁跡
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撮影 2008.04.18