船鉾
「ふなぼこ」ではなく「ふねぼこ」と呼びます。神功皇后をめぐる説話により鉾全体を船の型にしています。宝暦年間(江戸中期)の傑作とされる「鷁(げき)」が船首を飾り、舵は豪華な黒漆塗青貝螺鈿細工でできています。船の上には様式美に富んだ屋根が置かれ、屋根の後の鳥居の帆柱のイメージを残す2本の幟(のぼり)が風にはためく姿は軍船らしく壮大で、かつ秀麗なシルエットを誇っています。

船鉾は応仁の乱以前より2基あり、この鉾は先祭(さきのまつり)のトリをつとめた『出陣の船鉾』といい、元治元年(1864)に焼けて現在焼山になっている後祭『凱旋船鉾』と区別している。
古事記や日本書記に書かれた神功(じんぐう)皇后が妊娠中にもかかわらず、皇子が凱旋まで産まれぬように祈願して、男装で海戦して勝利し、皇子をお産みになったという神話によって鉾全体を船の形にしている。
皇后の御神体は安産の神とされ、岩田帯を巻いて巡行し、巡行の後で妊婦に授与される。

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