弁慶と牛若丸が五条大橋の上で戦う姿を表しています。この山には山籠も真松もなく、山の上を舞台として風流の趣向を見せていた時代の形式を伝えています。前掛は昭和58年から富岡鉄斎の「椿石図」写しを使用しています。胴掛は円山応挙下絵とされる「加茂祭礼行列図」綴錦です。舁山は普通眺めるのに最もよい角度がありますが、この山は四方どこから見てもよい山です。
謡曲『橋弁慶』から趣向の山。有名な牛若丸と弁慶の五条大橋での戦いを表したものである。 狂言『鬮罪人(くじざいにん)』には、室町時代の町衆が祗園祭に出す山の趣向を相談する場面がある。当時は現在のように山鉾の趣向が固定しておらず、毎年決まったものを出す山と、その都度新しく創作する山があった。その中で前者の例として橋弁慶山が挙げられており、山鉾の中でも創建の早かった山であることがわかる。古来くじ取らずで明治四年まで後祭の先頭を巡行していた。