保昌山
恋のために花を手折ってくる姿を表しているので、明治初年までは「花盗人山」と呼ばれ、親しまれてきた山です。前掛と両胴掛が円山応挙の円熟期の下絵として特に有名です。また、その下絵が3点とも屏風に仕立てられて大切に保存されています。水引は孔雀の羽を縫い込んだ刺繍の逸品で、前掛、胴掛も刺繍なので、刺繍美の楽しめる山ともいえます。

この山の主人公である平井保昌(やすまさ)は藤原大納言元方の孫、致方(むねかた)の子で武勇に優れ、和歌にも堪能であり左馬(さまの)頭、丹後、大和、摂津などの守を歴任し、大江山鬼退治の源頼光の四天王の1人であった。
保昌が官中の女官に恋をし、女官の紫宸殿の梅を手折ってほしいとの願いで、夜陰に宮中に忍び入り、梅を手折って無事に役を果たしたという話がこの山の趣向である。それゆえに『花盗人山』と呼ばれている。その女官、後に保昌の妻になったのが、和泉式部である。

祇園祭トップ 山鉾巡行順 21番(放下鉾へ)