蟷螂山
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『蟷螂の斧を以て降車の隧(わだち)を禦がんと欲す』という、中国梁時代の昭明太子の詩文集に出てくる言葉から着想された山である。南北朝時代に、当時足利義詮軍と戦って死んだ当町在住の公家の武勇ぶりを、弱い者が自分の分や力を考えず、はかない斧を頼りに大敵に向かって盲信することを風刺した意味のこの一文になぞらえて趣向した。

昭和56年に約100年ぶりに復活した山です。前掛、胴掛は友禅作家羽田登喜男の手になる色彩豊かなものです。見送は皆川月華の豪快な作品が使われています。特徴は山鉾の中で唯一見られるからくり仕掛けで、鯨髭をバネに用いた精巧な糸あやつり木彫の大かまきりは、首や手鎌が動き、羽を広げ、御所車は車輪が回転します。そのユーモラスな動きは見て楽しいものです。