月鉾 |
鉾頭に三日月をつけているのでこの名で呼ばれています。装飾が細部にいたるまで素晴らしく、動く美術館と讃えられています。文化文政(江戸後期)の美術爛熟期に工芸装飾の充実に力を注ぎ、当代随一の名工の力を得た飾金具類は圧巻です。また、左甚五郎作と伝えられる彫刻、円山応挙の屋根裏絵画、天井の源氏五十四帖扇面散図などその華麗さ豪華さは山鉾の中でも屈指のものです。 |
真木の中ほどの『天王座』には月読尊を祀る。像は右手に櫂を持ち、月を仰ぐ姿で船に乗っている。月読尊は古事記によると伊弉諾尊の右眼から生まれ、夜の国の支配者になった方。 天明の火事では町は焼けたが、人々の努力で鉾は無事だった。また、元治元年に鉄砲焼けの戦火に見舞われたが、月鉾は真木1本失っただけで、屋根裏絵画など優れた工芸装飾品が数多く今に残っている。古い鉾頭と天王のもつ櫂には「元亀4年大錺屋勘右衛門」の刻銘がある。昭和56年から18金製の鉾頭を用いている。 |
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