郭巨山 |
中国の史記24孝の1人である郭巨が母に孝養を尽くすため「子は再び得べし、母は複得べからず」とわが子を山へ棄てようとしたところ、土中から一釜の金を得た。一札あって『天孝子郭巨に賜う、官も奪うを得ず人も取るを得ず』と記されていたという話を山の趣向にしたもの。 |
乳隠(ちがく)しと日覆障子の屋根に特徴のある山です。他の山鉾は乳隠しを精巧に仕上げて欄縁に昇格させたのに対し、この山だけは鮮やかな乳隠しを残してその上に欄縁を飾るという独自の美意識を見せています。日覆障子は寛政(江戸後期)の頃から用いられ、遠目にも他の山と区別がつきます。上村松篁下絵の胴掛をはじめ、懸装品(けそうひん)の新調製作に意欲的な山でもあります。 |