朝護孫子寺(ちょうご朝護孫子寺 そんしじ)(ちょうごそんしじ)

(ちょうごそんしじ)

撮影 2007.04.04

寺伝によると、587年(用明天皇2年)に聖徳太子は物部氏との仏教の受容をめぐる戦いに勝利を得るたるにこの山に登って祈願をしたところ寅の年、寅の日、寅の刻に四天王の一である毘沙門天が聖徳太子の前に現れ、その加護によって物部氏に勝利したことから、594年(推古2年)に毘沙門天を祀る寺院を創建し、「ずべきぶべき信貴山)」と名付けたとされる。。また寺の至る所に虎の張り子が置かれているのは、その逸話に由来している。その後、902年(延喜2年)に醍醐天皇の病気を命蓮(みょうれん)が祈祷によって平癒されたことにより子々孫々朝廷を守護する様に「朝護孫子寺」の寺号を賜った。
戦国時代には木沢長政が信貴山頂に信貴山城を築いた。1577年(天正5年)に同城の城主・松永久秀と織田信長の間で信貴山攻防戦が行われて久秀は滅亡し、寺も消失するが、豊臣秀頼によって再建された。現在、山頂には同寺の「空鉢堂」があり、本堂付近から参道で連絡している。

仁王門(朝護孫子寺への門)
赤門
大門池に架かる信貴大橋
大門池から朝護孫子寺の架かる開運橋
開運橋にも虎がいた
開運橋から眺める信貴山温泉街
世界一福寅
子寅
聖徳太子像
信貴山山頂にある空鉢護法への登り口
山頂にある空鉢護法
融通堂
日本一大地蔵尊
本堂から眺める地蔵尊・融通堂
経堂
虚空蔵堂
本堂に上がる階段
本堂の遠景
厄除観音
十三重塔
千体地蔵(仁王門の入口に安置されている)
境内の桜
歴史散歩へ
朝護孫子寺(ちょうごそんしじ)は、奈良県生駒郡平群町(へぐりちょう)の信貴山にある信貴山真言宗総本山の寺院である。本尊は毘沙門天(多聞天とも称する)。「信貴山寺」ともいわれ、地元では「信貴山の毘沙門さん」として知られる。