近撮_2010.7
このページには最近作を月ごとに撮影順に区分なしで掲示し、
掲載後に順次、「風景」「行事・祭」「花ごよみ」「桜」「鹿」などに区分して掲示します。
(取り急ぎにつき、ラージサイズにならないもの、コメントの無いものもありますが順次追加します)
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御祓祭花火大会_綱越神社

6月と12月の晦日に行われる除災行事を「大祓」と言いますが、6月の大祓は「夏越の祓え」と言い、半年の罪、穢れを祓い、後半年の除災、健康を願う神事。大神神社摂社の綱越神社の夏越の祓えは旧暦で7月末に行われます。「御祓祭(おんぱらまつり)」と呼ばれ古くから親しまれています。おんぱら祭の様子は昨年のを御覧ください。


[御祓祭花火大会_綱越神社]
宵宮、本宮の両日には演芸大会など種々な催しが行われます。最後は花火大会。
(少し山手から撮影してみました。ちょっと大鳥居から離れていました)
(2010.7.31)(桜井市)

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解除会_東大寺

解除会(けじょえ)は、わが国で古来より行われていた六月の晦(みそか)の「夏越(なごし)の祓(はらえ)」や「水無月祓(みなつきはらえ)」と深い閑係がある仏会。延喜元年(901)三月に東大寺別当律師道義が秋の始めに毎年流行する疫病を防ぐために、奈良の諸大寺に呼びかけて、同年六月二十八日より始めた法会で、七大寺の僧二百四、五十人、楽人六十余人を講堂に集めて行われたと伝えられる(東大寺のhpより引用)


[解除会1_東大寺]
乾燥させた茅で編み上げた直径2メートルぐらいの茅の輪を登壇する僧侶がくぐっていかれます。神社などでよく見かけるのと少し違って、童子さんが縄跳びの縄のように一回転させ、それを跨ぐような要領でくぐっていかれます。
(2010.7.28)(奈良市)


[解除会2_東大寺]
大仏殿で盧舎那仏(大仏さま)を本尊として除疫病などを祈る法要が行われます
(2010.7.28)(奈良市)


[解除会3_東大寺]
僧侶がくぐられた後、茅の輪は大仏殿の中に移動して設えらます。読経の中を参拝の大衆が輪をくぐり、無病息災などを祈祷します。(2010.7.28)(奈良市)

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大峯山奥駆け_前鬼裏行場

大峯山の奥駆けにはいくつもの行場があるが、ここは前鬼の裏行場「三重の滝(みかさねのたき)」。普段はほとんど一般の登山客も入らない谷筋と大きな滝の行場。桜本坊の奥駆けの行に(この行場だけ)同行させていただきました。宿坊の小仲坊を早朝3:30出発。真っ暗な道を上り下りし夜明け頃に「垢離(こり)取り場」と呼ばれる谷へ。そこから不動の滝への登りは鎖場などかなり厳しい行程、さらに上の馬頭の滝へ。


[朝日を浴びて_前鬼裏行場]
(2010.7.19)(下北山村)


[谷を渡る_前鬼裏行場]
(2010.7.19)(下北山村)


[岩場を登る_前鬼裏行場]
(2010.7.19)(下北山村)

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地蔵盆_油掛地蔵尊

近鉄結崎駅から西へ約2km、大和川の堤防の南に広がる川西町吐田(はんだ)一帯には、今ものどかな田園風景が広がっている。田んぼの中には東西南北にいく筋もの細い道が通るが、その一角にぽつんと建つ小さなお堂があり、油で黒光りした地蔵尊が祀られています。できものが治るなどの謂われもあり、村のお年寄りらにより常日頃から花を供え祈りを続けられています。



[油掛地蔵盆会式1_吐田(はんだ)]

黒光りした油掛地蔵尊は舟型光背のある地蔵立像で、台座を含めた像の高さは約61cm。銘文には大永3(1523)年とある。顔の造作は削られたようにみえるが、全身油で黒光りしている。できものや腹痛を直してくれる地蔵様、他にも水害除けのお地蔵様としても信仰を集め、願を掛ける時には油を掛ける習わしが続いています。
(2010.7.23)(川西町)


[油掛地蔵盆会式2_吐田(はんだ)]

地蔵盆会式の日には、夕方になると村の人々は各家から提灯を持ち寄り、提灯掛けに掛けて献灯されます。
(2010.7.23)(川西町)


[油掛地蔵盆会式3_吐田(はんだ)]

地蔵盆の始まる頃、子供達も集まり花火を楽しんでいました。
(2010.7.23)(川西町)

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蓮華会式_当麻寺

中将姫が曼荼羅を織ったと伝わるこの日、曼荼羅堂で蓮華会式の法要が行われます。真言宗、浄土宗の僧侶が交代で法要されます。お供物は大盛りの仏飯や野菜の造り物も特徴的なものです。



[法要_蓮華会式_当麻寺]

曼荼羅の前に野菜中心のお供物を供え、法要が執り行われます。真言宗、浄土宗と交代で行われますが、これは真言宗の僧侶による奉納。
(2010.7.23)(葛城市)


[お供物_蓮華会式_当麻寺]

仏飯の大盛り(昔は5升炊きでもっと大きかったそうです)、茄子や胡瓜の盛りもの、ササゲ豆を渦巻きにしたもの、ミョウガを極楽鳥のように仕立てたものなどお供物も特徴的。
(2010.7.23)(葛城市)

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蓮華会式_法華寺

大和三門跡のひとつ法華寺の蓮華会式は創建当時より続いていると伝わっています。疫病が流行した時に光明皇后が「萱」を供えて疫病除けの祈願をされたという。この謂われから境内に茅で作った大きな「茅の輪」が設えられ参拝者が無病息災などを祈り尼僧に続きくぐっていかれます。神社で6月末に行われる夏越しの祓えの茅の輪と同じ意味だろうと思います。



[茅の輪くぐり1_法華寺]

尼僧が上堂される時に、久我門跡を先頭に茅の輪をくぐられます。本尊の十一面観音の前で法要が行われている間も参拝者らが次々と茅の輪をくぐられます。
(2010.7.17)(奈良市)


[茅の輪くぐり2_法華寺]

夕方からは行灯に灯が入り、暮れてからも次々と参拝者が無病息災などを祈り茅の輪をくぐって参拝されます。(2010.7.17)(奈良市)

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夏祭り_各地

7月15日を中心にあちこちで夏祭りが行われています。葛城方面では十二振り提灯や、ススキ提灯を奉納されるところが多く、氏子の各地域から神社へ日暮れ頃奉納されます。多くは伊勢音頭など唄ったり太鼓や鉦をならして巡行されるところも多く、さながら夏の風物詩の様です。



[提灯行列_鴨都波神社]

ススキ提灯(上から2.2.4の10張り)を各町内から献灯されます。その数約30本、葛城川沿いに鴨都波神社まで鉦や太鼓の音にあわせ巡行されます。
(2010.7.16)(御所市)


[提灯奉納1_鴨都波神社]

到着順にススキ提灯を神前に献灯、氏子達が子供巫女のお祓いを受けたあと、ススキ提灯を回しながら走り回ります。最後に若衆会による振りまわしや放り投げなど曲芸風に演じられます。
(2010.7.16)(御所市)


[提灯奉納2_鴨都波神社]

(2010.7.15)(御所市)

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[十二振提灯_調田坐神社]

各地からの十二振り提灯を境内に立て、神社代表者や氏子代表が拝殿に上がり神事が行われます。
(2010.7.15)(葛城市)


[巫女舞_調田坐神社]

地区の小学5.6年生が巫女を勤めます。調田(つくだ)神社の拝殿には古い絵馬が天井いっぱいに奉納されています。
(2010.7.15)(葛城市)

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[祭りの夜_八坂神社_天川]

(2010.7.10)(天川村)

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虫送り_西原

上北山村の山村西原に伝わる虫送り行事。今では田んぼはほとんどなくなっていますが、五穀豊穣、疫病除けを願い虫送り行事が行われています。村の一段高いところにある宝泉寺で虫供養法要が行われ、さらに高い位置にある南朝を陰で助け続けたという「車僧」の碑に祈祷し、そのローソクで着火した松明を村人たちが手に、「送った送った、虫送った」と唱えながらおよそ2キロの村中を下り、北山川の河原で松明や七夕の笹などを炊き供養されます。



[虫送り1_西原]

村の一段高い所にある車僧の碑に祈祷し、そのローソクから松明に着火される。
(2010.7.7)(上北山村)


[虫送り2_西原]

暮れゆく山道を松明行列が下っていきます。
(2010.7.7)(上北山村)


[虫送り3_西原]

普段は真っ暗な静かな村もこの日は村人総出の松明行列が続きます。先頭の区長さんが持つ幡には「田の虫遠くへ飛んでいけ、病魔退散し、五穀豊穣を願う」意味の文字が書かれています。
(2010.7.7)(上北山村)


[虫送り4_西原]

この日は七夕にあたり、七夕の笹、短冊も松明と一緒に焚かれます。
(2010.7.7)(上北山村)


[虫送り5_西原]

村の下を流れる北山川の河原で松明や七夕の笹などを炊き、般若心経で供養されます。
(2010.7.7)(上北山村)

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虫送り供養_奈良阪

日暮れ頃、西福寺に宮座の人たちが集まり、虫供養が行われます。他の地の多くの虫送り行事は、田の畦や村道を松明をかかげ虫追いをするものですが、ここでは松明はなく奉行と呼ばれる役員達が町中を練行し、寺で虫供養を行われます。昔はそれぞれが自分の田畑あたりを松明で虫追いし、そのあと西福寺に集まり供養されていたそうです。



[虫送り供養1_奈良阪]


[虫送り供養2_奈良阪]

奉行達が町中の練行をしている間も宮座の方は木魚を叩き念仏を続けられます。
(2010.7.4)(奈良市)


[虫送り供養3_奈良阪]

提灯、鉦、拍子木、シデ、笹を持つ6人の奉行達が町の端まで練行されます。
(2010.7.4)(奈良市)


[虫送り供養4_奈良阪]

練行の後、青竹、笹、シデなどを奈良豆比古神社の境内で炊かれます。
数年前までは、町外れの畑地で炊かれていたそうです。
(2010.7.4)(奈良市)


[虫送り供養5_奈良阪]

虫送り行事を終えると、練行の奉行たちは町中を大きな声で「虫送りましたで〜」とふれて回られます。(2010.7.4)(奈良市)

ちなみに、奈良阪の祭事のほとんどは宮座により行われており、宮座は整然とした組織で、現在100名以上の組織。その階級も、見習い〜奉行〜老中など年功序列による。行事の支度や下働きはこの奉行以下の役職の方がとり仕切られ、昔商人が着けていた帆布製の前掛けを着けて行われます。

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蓮華会・蛙飛び行事_蔵王堂

吉野山の金峯山寺の蔵王堂で蓮華会が行われますが、この日1000年以上も続いている蛙飛び行事も行われます。不心得な男が神仏を侮辱したのでオオワシにさらされ、その後、男は後悔したので、金峯山寺の高僧が男を蛙の姿にして救い出し、蔵王権現の宝前でその法力によって人間に立ち返らせたという伝説を再現したもの。愛嬌のある蛙が飛び跳ねるめずらしいお祭りです。



[蛙飛び行事1_蔵王堂]

(2010.7.7)(吉野町)


[蛙飛び行事2_蔵王堂]

(2010.7.7)(吉野町)


[蛙飛び行事2_蔵王堂]

(2010.7.7)(吉野町)

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風鎮祭_龍田大社

龍田大社は社伝によると崇神天皇が凶作や疫病退散を願って創建されたそうです。風鎮祭は悪風を除き、順風の到来を祈る祭礼で、天武天皇(675年)に始まるという由緒があります。龍田神楽や風神太鼓などが奉納されますが、近年は本殿を焼けつくすかの勢いの花火が奉納され、神職や氏子が祈祷をされます。



[花火奉納1_風鎮祭_龍田大社]

(2010.7.4)(三郷町)


[花火奉納2_風鎮祭_龍田大社]

(2010.7.4)(三郷町)

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[虎親子像_朝護孫子寺_信貴山]

(2010.7.1)(平群町)


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