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リリーフ投手のDIPS

正確には リリーフ投手のFIP(c=3.12)


DIPS と FIP の混同解消に向けた修正(2011. 3.13) 2011年に公開した「DIPS と FIP に対する当館のスタンス」に基づき、
本稿においても DIPS と FIP の混同を解消するため、原則として
DIPS という表記は FIP という表記に改めています。
なおここでの FIP は全て FIP(c=3.12) を指すものです。

この修正に関する詳細は上のリンク先の文書をご参照ください。
またこの修正の根拠について、「3.12はどこから来たのか(上)
3.12はどこから来たのか(下)」も併せてご一読ください。

日本のDIPS更新史では規定投球回数以上の選手を主に対象としてきたが、現代野球を考える上ではリリーフ投手についても取り上げる必要があるだろう。ここではそれらの選手を取り上げてみる。ただし一概にリリーフ選手といっても幅は広いので、ひとまず投球回数30以上規定投球回数未満の選手を対象とし、本編で紹介した選手については原則として割愛する。

  
1957 1.998 中村 和臣 41.0 12 0 0 0 41
1958 2.452 小野 正一 182.2 66 2 1 5 191
1969 2.333 鬼頭 洋 40.2 10 1 1 2 44
1970 2.257 倉田 誠 46.1 8 0 0 2 45
1980 2.487 角 三男 79.0 35 3 3 5 110
1981 2.020 金城 基泰 30.0 7 2 3 1 35
1986 2.365 サンチェ 50.1 12 3 2 1 42
1987 2.482 清川 栄治 42.1 7 0 0 2 37
1989 2.355 広田 浩章 49.2 16 3 0 1 45
1989 2.265 津田 恒実 83.0 15 7 1 4 75

リリーフ投手のDIPSは、1990年代以降とそれ以前とで状況が大きく異なる。1990年代以前(1989年以前)で、2.500以下のDIPSをマークしたのは、本編でも触れた1958年の小野正一を含めても、上の7人だけである。

数字の上では倉田誠と津田恒実の記録が高いが、投球回数の多さを考えれば、津田のほうが記録の価値としては高いだろう。それ以外でも、普段あまり評価の話題に載らない選手の名前が出てきており面白い。

リリーフ投手のDIPSFIPは、1990年代以降とそれ以前とで状況が大きく異なる。1990年代以前(1989年以前)で、2.500以下のDIPSFIPをマークしたのは、本編でも触れた1958年の小野正一を含めても、上の10人だけである。

まずは1957年中村和臣の1.998が眼を引く。前年の小山正明の日本記録である2.152も大きく上回り、1990年代まで唯一1点台の記録として存在し続けることになる。中村は翌年7勝を挙げて一群に定着するかに見えたが、その後は振るわず通算13勝に終わった。

その後1981年に金城基泰が2.020をマークしているが、30イニング以上と限定しても小山の記録を上回るのが2人だけというのは、逆に見れば、小山やあるいはそれに近い稲尾和久の記録のすごさを証明するものではないだろうか。

また、中村と金城の記録は投球回数が少ないため、鵜呑みの評価というわけにはいかない。そういう意味では、それなりの投球回数を投げながら2.265をマークした津田恒実の記録も高い評価が下せよう。

  
1965 2.901 宮田 征典 164.2 25 3 2 14 145
1974 3.439 佐藤 道郎 131.2 36 4 3 7 77
1974 3.758 星野 仙一 188.0 50 8 7 19 137
1975 3.282 鈴木 孝政 148.1 25 10 6 15 117
1975 3.965 村田 兆治 191.2 65 2 6 15 120
1976 3.767 佐藤 道郎 136.0 29 0 3 8 56
1977 3.394 江夏 豊 84.0 21 0 5 5 60
1977 3.877 新浦 寿夫 136.0 60 6 1 10 96
1978 3.162 江夏 豊 95.1 38 3 2 7 99
1979 3.130 江夏 豊 104.2 36 2 1 10 117
1980 3.274 倉持 明 71.1 13 2 0 6 50
1980 3.527 江夏 豊 86.0 20 4 1 12 86
1981 2.511 古沢 憲司 44.1 19 1 1 0 42
1981 2.900 角 三男 104.1 33 1 2 9 121
1981 3.783 江夏 豊 83.0 24 0 1 10 75
1982 2.866 山本 和行 141.2 19 0 1 10 113
1982 2.966 江夏 豊 91.0 31 1 2 8 107
1982 2.977 角 三男 63.0 24 2 5 4 71
1982 3.670 斉藤 明夫 134.2 35 10 1 12 80
1983 3.133 江夏 豊 77.1 27 1 3 6 82
1983 3.802 森 繁和 85.0 22 1 3 6 46
1984 3.213 牛島 和彦 75.2 25 5 1 6 67
1984 3.586 山本 和行 83.2 13 1 1 10 65
1984 3.873 鈴木 康二朗 78.1 27 7 4 3 26
1985 3.566 中西 清起 107.2 31 7 4 10 83
1985 3.839 鈴木 康二朗 57.0 17 3 1 4 28
1986 2.736 山本 和行 86.0 15 5 2 7 80
1986 2.777 角 三男 58.1 19 6 1 6 70
1986 2.961 津田 恒実 69.1 29 11 2 7 81
1986 3.876 斉藤 明夫 78.0 13 4 0 10 49
1987 2.922 津田 恒実 65.2 22 11 3 5 60
1987 2.967 郭 源治 98.0 27 8 1 5 70
1987 3.048 牛島 和彦 55.2 16 6 2 6 59
1988 3.318 郭 源治 111.0 31 3 3 9 94
1988 3.668 吉井 理人 80.1 27 2 6 3 44
1989 2.823 郭 源治 74.0 18 2 1 5 69

その他の、1990年代以前の主なリリーフ投手の数字は上のようになる。規定投球回に到達している選手には、最優秀DIPSFIPになっている選手も何人かいる。

ちなみに、かつての日本記録だった1956年の小山正明も、実は59試合に登板して39交代完了、先発が14試合しかなく救援率76.3%という締めくくりリリーバーだった。

表に現れないところでは、1976年に26セーブ、32セーブポイントで最優秀救援投手となった鈴木孝政が4.098、1986年に40セーブポイントの石本貴昭が5.052という数字だった。

この中では、先のリストも含め4回の2点台をマークした角三男の安定度が目立つ。続いて2点台3回の津田、2回の山本と郭源治あたりが、DIPSFIP的には優秀な投手だったといえる。

  
1990 2.203 水野 雄仁 68.2 14 3 2 2 64
1990 2.487 潮崎 哲也 102.2 40 4 7 4 123
1991 2.084 大野 豊 46.1 17 4 1 2 58
1992 2.120 田村 勤 41.0 11 1 3 2 53
1992 2.128 佐々木 主浩 87.2 39 5 1 6 135
1993 1.507 野村 貴仁 70.2 12 0 1 1 83
1993 2.157 伊藤 智仁 109.0 35 1 2 3 126
1995 1.511 野村 貴仁 36.2 11 2 0 0 43
1995 1.826 潮崎 哲也 70.1 21 6 1 1 76
1995 1.878 平井 正史 85.1 14 1 2 1 82
1995 1.904 河本 育之 49.1 23 4 0 1 65
1996 2.240 野村 貴仁 69.1 28 2 1 2 84

さて1990年代以降は、原則としてDIPSFIPが2.300以下の選手をリストアップしていくことにする。厳密な基準値というわけではないが、これでも解説に十分なリストになることは、おいおい判明していくだろう。

1990年には水野雄仁が投球回数68.2でDIPSFIP2.203という数字を挙げ、またパリーグでは、新人の潮崎哲也が投球回数102.2でDIPSFIPは2.487と2.500を切ってきた。このあたりはまだ1980年代後半の数字に似たところだが、翌年辺りからギアが一つ上がったように変わってくる。

本編でも取り上げた大野豊は、1991年には抑えの切り札として起用されたが、投球回数46.1ながら、DIPSFIPは2.084。先発での実績を活かし、日本記録以上の数字を挙げた。さらに、1993年は伊藤智仁のデビュー年で、こちらは本編でも触れたように非常に好成績をマークしたが、実はこの年、パリーグでは野村貴仁が投球回数70.2でDIPSFIPは1.507という驚異的な記録をマークした。

次に1点台を記録したのも2年後の当の野村で、数字はこれまた1.511。投球回数36.2はさびしいが、翌年投球回数69.1で2.240を記録しているのを見ても、これはフロックではなく実力であったといえよう。特に、この後1点台の投手はそこそこ出てくるのだが、1.600を切る記録となるとぐっと少ないのである。

ちなみに野村が2回目の1.500台を記録した1995年は、他にも3投手が1点台を記録しており、その4人がいずれもパリーグ所属である。環境に助けられた面も確かにあったのだろう。

  
1997 1.557 宣 銅烈 63.1 12 0 1 0 69
1997 1.886 大塚 晶文 82.2 46 5 1 2 127
1997 1.920 佐々木 主浩 60.0 17 2 1 6 99
1997 2.218 伊藤 智仁 47.2 10 3 1 3 53
1997 2.281 岡本 克道 53.2 15 4 1 3 60
1998 1.316 佐々木 主浩 56.0 13 0 1 1 78
1999 2.217 宣 銅烈 31.0 10 1 0 1 34
1999 2.276 吉田 修司 53.1 22 4 1 0 51
2000 2.230 森 慎二 78.2 20 2 0 6 101

1997年には宣銅烈が投球回数63.1でDIPSFIPは1.557とセリーグでは初となる1点台の数字を残した。また「大魔神」佐々木主浩も投球回数60.0で1.920と2点を切る数字を残した。佐々木は1992年に投球回数87.2で2.128という数字を残しており、リリーバーとして経験を積み、充実してきた様子が伺える。

その結実が翌1998年で、あっさりと宣銅烈の記録を超える1.316をマーク(投球回数56.0)。野村の記録をも超え、一気に1.500の壁を突き破る記録を残した。チームを優勝に導き、MVPも獲得した選手にふさわしい数字である。

  
2002 1.201 豊田 清 57.1 3 1 1 1 66
2002 1.874 小林 雅英 43.1 6 1 0 1 41
2002 2.010 大塚 晶文 42.1 3 0 0 4 54
2002 2.047 岩瀬 仁紀 59.2 15 4 3 2 66
2002 2.072 石井 弘寿 89.2 12 2 1 7 109
2002 2.099 森 慎二 78.1 29 5 0 4 102
2002 2.244 岡本 克道 53.2 10 5 1 5 65
2003 1.895 岩瀬 仁紀 63.2 12 6 1 3 69
2003 2.068 豊田 清 58.0 9 3 1 2 54
2003 2.105 石井 弘寿 45.1 10 4 2 4 61
2003 2.143 大塚 晶則 43.0 5 0 1 4 56
2004 1.593 豊田 清 36.2 5 2 0 1 39
2004 2.040 前田 幸長 41.2 2 0 2 3 48
2004 2.247 石井 弘寿 52.2 10 1 0 5 69

さて初めて1.500の壁を破った佐々木の記録も長くは続かない。2001年に野口茂樹が日本記録を更新したのは本編で述べたとおりだが、翌2002年には、リリーフ投手で野口の数字を上回る者が6人も現れた。

その中で、豊田清が佐々木の記録を上回り、投球回数57.1でDIPSFIPは実に1.201。今なおこの数字を上回る投手は出ていない、いわばリリーフ投手の最高記録を打ち立てた。豊田は2004年に1.593、2006年に1.620、2007年には1.641と、いずれも投球回数は少ないが1点台を記録しており、DIPSFIPで測る最も優秀なストッパーの一人となった。

  
2005 1.463 藤川 球児 92.1 20 1 1 5 139
2005 1.725 岩瀬 仁紀 57.1 8 2 2 0 52
2005 2.027 大久保 勝信 39.1 9 2 1 1 40
2005 2.241 MICHEAL 46.2 8 1 2 2 47
2006 1.292 藤川 球児 79.1 22 2 0 3 122
2006 1.419 馬原 孝浩 54.2 14 8 0 1 62
2006 1.620 豊田 清 38.0 6 3 0 2 46
2006 1.787 クルーン 48.0 8 1 1 4 70
2006 2.153 武田 久 81.2 8 2 4 1 61
2006 2.237 藤岡 好明 65.2 21 3 6 0 65
2007 1.204 藤川 球児 83.0 18 4 1 2 115
2007 1.641 豊田 清 48.0 8 5 2 2 56
2007 2.023 上原 浩治 62.0 4 1 1 4 66
2007 2.175 クルーン 42.1 15 0 2 3 65
2007 2.186 ウィリアムス 65.1 16 1 0 2 66
2007 2.244 小倉 恒 29.2 6 1 0 1 27
2008 1.420 藤川 球児 67.2 13 3 3 2 90
2008 1.825 クルーン 61.0 27 0 3 1 91
2008 2.251 シコースキー 48.1 10 1 1 2 49
2009 1.552 ファルケンボーグ 51.2 9 0 1 1 62
2009 1.767 藤川 球児 57.2 15 2 1 4 86
2009 2.080 シュルツ 75.0 22 0 0 0 72

この豊田を上回り、5年連続5回の1点台を誇るのが阪神のストッパー藤川球児である。2005年に1.463を記録した時の投球回数が92.1と、これまでのリリーフ投手に比べても投球回数が多いのが特徴で、2006年に佐々木の記録を破る1.292をマークした時が投球回数79.1、2007年にこれを更新し豊田の記録に肉薄する1.204とした時が83.0。以後2年間も1.420、1,767を記録して投球回数は67.2と57.2と、投げて投げての記録である。最高記録こそ豊田に譲るものの、この5年間の数字を見てもリリーフ投手としての実力は豊田を上回ると見てよいかもしれない。


以上の中から、投球回数の多さと数字の高さを踏まえてリリーフ投手のDIPSFIPを評価するならば、1998年の佐々木、2002年の豊田、2005年から2007年あたりの藤川と、先駆的な意味を込めて1993年の野村あたりが屈指の記録といえるだろうか。また、登場回数と数字の高さで言えば、岩瀬仁紀と大塚晶文も加えてよいだろう。


written by Seiichi Suzuki, at 2010. 9.14. / updated at 2011. 3.13.