近撮_2015.2
このページには最近作を月ごとに撮影順に区分なしで掲示しております。
(取り急ぎにつき、ラージサイズにならないもの、コメントの無いものもありますが順次追加します)
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華鎮祭・阪手八坂神社


華鎮祭はケイチンと読みますが、文字どおり華鎮めでハナシズメの祭礼。天候が荒れることなく村民と豊年を願う新年(旧暦)の正月行事。
五人組と呼ばれるその年の明神講の当番が裃、袴姿で出仕されます。例年は座入りの子供も参加されますが今年は大人の五人組だけでした。



[華鎮祭1_八坂神社]

拝殿前に設けられた祭場にて神主(村屋神社の宮司)が祝詞を奏上、次いで結鎮祭文(けいちんさいもん)を読み上げます。その後、梅の弓に女竹の矢をつがえて東・西・南・北・天・地の順に射ます。
(2015.2.22)(田原本町)



[華鎮祭1_八坂神社]

次に「五人組」と呼ばれるその年の講(明神講)の当番が本物の弓矢を各自初回は5本、2回目は3本、3回目は1本ずつ直径1mほどの的をめがけて射て邪気を祓います。
(2015.2.22)(田原本町)


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だだおし・長谷寺


長谷寺で修二会しゅにえの締めくくりに行われる追儺会ついなえ。法要も終わりに近づいた頃、大きな赤、青、緑の三匹の鬼が堂内に暴れ込んできます。法螺貝ほらがい や太鼓が打ち鳴らされる中、追い出された鬼たちは大きな松明を従えて本堂、 礼堂の周りの舞台や欄干を暴れながら走り回ります。男衆が担ぐ松明は一丈五尺(約4.5m)三十貫(約110kg)という大きなものです。



[赤鬼_長谷寺]

(2015.2.14)(桜井市)



[松明_長谷寺]

三匹の鬼を追いかける大きな松明のぶつけ合い。
この松明の燃え残りもご利益があるということで競って持ち帰られます。
(2015.2.14)(桜井市)



[三そう行道1_長谷寺]

本来の修二会の法要は7日間続けられ、結願を迎えた日にいわゆる「だだおし」が行われます。
「旋そう行道」と言われる行法では手に「すわえ」と呼ばれる枝一本を手に内陣、内内陣を三周駆け足で廻られます。
(2015.2.14)(桜井市)



[遷そう行道2_長谷寺]

ふたつめの「遷そう行道」ではシデの木に牛玉札をはさんで行道されます。
(2015.2.14)(桜井市)



[内陣で暴れる赤鬼_長谷寺]

法要の結願間近になると赤鬼、青鬼、緑鬼がなだれこんで法要の邪魔をしたり参拝者を脅したりと暴れまわります。
(2015.2.14)(桜井市)



[内陣で暴れる青鬼_長谷寺]

(2015.2.14)(桜井市)



[牛玉宝印」_長谷寺]

結願にあたり、牛玉宝印を大導師をはじめに僧侶、内陣参拝者、礼堂参拝者の額に押されます。
(2015.2.14)(桜井市)


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子出来おんだ祭・六県神社


御田(おんだ)祭は各地で行われ、五穀豊穣、子孫繁栄はを祈るものですがそれぞれに特徴があります。ここ六縣(むつかた)神社のおんだ祭は子出来御田祭とも言われ、厳粛なものですが太鼓を使うユーモラスな出産の所作は面白いものです。
祭の始めに厄年の青年のお祓い祈祷が行われます。その青年達によりおんだ祭が演じられます。
2013年のもご参照ください。



[田植え_六県神社]

苗や肥やし、タニシなどすべて椿の葉で表現されます。子供達はその所作を冷やかしたり邪魔したり最後には馬乗りに襲いかかったりします。子供は雨、風を現しているそうで元気なほど豊作になるといわれています。
(2015.2.11)(川西町)



[子出来1_六県神社]

厄年の男子が腹に小太鼓を入れて妊婦に扮し、田植えをしている夫のもとに弁当を持っていき世間話をしている内に産気ずき男児を出産してしまいます。お腹から小太鼓が転げ出るのですが、それが男の子というわけです。
(2015.2.11)(川西町)



[子出来2_六県神社]

夫はその小太鼓を叩きながら、「ぼんぼん出来たぼん出来た」と喜びの声を上げ、走りだします。夫婦愛・農耕勤勉の願いを表現したものなのでしょう
(2015.2.11)(川西町)



[御湯たて_六県神社]

(2015.2.11)(川西町)



[厄年のお祓い_六県神社]

(2015.2.11)(川西町)


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砂かけ祭・広瀬神社


奈良盆地の川が集まるこの地は昔から広瀬の 郷 と称され、水神を祀る広瀬神社があります。広瀬神社の「おんだ祭」は「砂かけ祭」と言われ、田人役、牛役、参拝者が所作の終わる度に砂をかけ合います。この砂は雨を意味し、かけ合いが盛んなほど豊作が適うとされ、老若男女入り乱れての合戦となります。大和の奇祭のひとつとして有名です。
殿上の儀の行事は2013年のをご参照ください。



[砂かけ祭1_広瀬神社]

(2015.2.11)(河合町)



[砂かけ祭2_広瀬神社]

(2015.2.11)(河合町)



[砂かけ祭3_広瀬神社]

(2015.2.11)(河合町)


 

[御供_砂かけ祭_広瀬神社]

祭の終わりに御供撒きがあります。松苗と田餅をゲットした少年。
(2015.2.11)(河合町)


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江包・大西の御綱


初瀬川の南北の江包(えっつみ)、大西集落に伝わるお綱祭り(綱掛祭、お綱はんの結婚式とも云われていますが、国指定重要無形民俗文化財の名称では「江包・大西の御綱」とされています。)
上流から流れてきた二人の神様を、江包は素盞鳴尊、大西は稲田姫を助け正月に結婚式を上げたことに由来すると云われている。両村からそれぞれ大きな雄綱、雌綱(600キロ、100メートルものしめ縄)が村人により担ぎこまれ、素盞鳴(すさのお)神社で入船(結合)の式を執り行います。



[雌綱_大西]

(2015.2.11)(桜井市)




[雌綱_江包]

(2015.2.11)(桜井市)



[泥相撲_江包]

巡行の途中、田で泥相撲で新婚さんの祝いや村の繁栄、豊作を祈ります。江包、大西どちらでも行われます。
(2015.2.11)(桜井市)



[仲人_素盞鳴(すさのお)神社]

仲人さんは喜田家世襲で大西から出ておられます。雌綱の巡行を先導し、素盞鳴神社に雌綱を据えた後、雄綱を七度半の呼び使いに出向かれます。
(2015.2.11)(桜井市)



[入舟の儀_素盞鳴(すさのお)神社]

(2015.2.11)(桜井市)



[入舟夕景_素盞鳴(すさのお)神社]

祭の翌日、夕景に静かなたたずまいが見られました。
(2015.2.12)(桜井市)


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御朝拝式_神之谷金剛寺


後亀山天皇が吉野に復興した後南朝期。帝位の再興を伺っていた自天王が川上村にて暗殺され、遂に後南朝も終焉。その悲運の自天王を偲ぶ御朝拝式が川上村では557年途絶えることなく護持されています。歴史的には旧北山郷、川上郷の何カ所かで行われてきたようですが、近年までは由緒あると伝わる神之谷の金剛寺と高原の福源寺の二カ所で行われてきました。筋目衆と呼ばれる継承者の減少や高齢化などから550年祭から一本化されました。



[御廟へ_御朝拝式_金剛寺]

(2015.2.5)(川上村)



[参拝の衆_御朝拝式_金剛寺]

(2015.2.5)(川上村)



[由来記奉読_御朝拝式_金剛寺]

(2015.2.5)(川上村)


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節分会_元興寺


元興寺の節分会では、年越しの除厄、家内安全、心願成就を祈願されますが、星祭(ほしまつり)・厄除け・招福祈願の柴燈大護摩供(さいとうおおごまく)と火渡り修行も行われます。(記事は元興寺hpより抜粋)




[節分会1_元興寺

波切不動明王立像(藤原時代)と宝山寺湛海不動明王坐像(江戸時代)を本堂内陣に遷座し、年越しの除厄、家内安全、心願成就を祈願されます。
(2015.2.3)(奈良市)



[護摩1_節分会_元興寺]

境内では、導師と行者衆による星祭(ほしまつり)・厄除け・招福祈願の柴燈大護摩供(さいとうおおごまく)と火渡り修行を執り行われます。
(2015.2.3)(奈良市)



[護摩2_節分会_元興寺]

柴燈大護摩供(さいとうおおごまく)とは、炎の中に不動明王を勧進し祈願を行うもので、その炎に願いを書いた護摩木を投入し焼き尽くすことで願いごとをお不動様に聞いていただきます。
(2015.2.3)(奈良市)



[豆まき_節分会_元興寺]

元興寺は、八雷神や元興神の鬼の発祥地であるので、近年はあえて「福は内、鬼は内」と呼ぶようにされています。
(2015.2.3)(奈良市)


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節分万灯籠_春日大社




[節分万灯籠1_春日大社]

(2015.2.3)(奈良市)



[節分万灯籠1_春日大社]

(2015.2.3)(奈良市)


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追儺会_興福寺


東金堂の本尊薬師如来の前で除災招福の悔過の法要があり、その後暴れ回る鬼を毘沙門天が退治する鬼追い式が行われます。この行事を追儺会(ついなえ)と言います。



[追儺会1_興福寺

(2015.2.3)(奈良市)



[追儺会2_興福寺]

(2015.2.3)(奈良市)


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お田植祭_手向山八幡宮


翁面の田主、牛童(うしわらわ)、巫女らが境内を道行きした後、拝殿を稲田とみなして農作業を演じます。神官が田主となり格調高い口上で始まり、めだたい語りで耕し始める古式ゆかしい行事で、奈良県にたくさんあるお田植え祭りの中でも能楽形式で行われるなど原型を多く残していると言われています。



[道行き_お田植祭_手向山八幡宮]

田作りをするに相応しい場所を求め探し歩く所作。田主が朧々と唄う「西の山に青い雲のさし出たはかの地かや この地かや」も格調高いものがあります。
(2015.2.3)(奈良市)



[田主と牛童_お田植祭_手向山八幡宮]

牛童は時々モ〜モ〜となきますがちょっとはにかみ気味。
(2015.2.3)(奈良市)



[施肥_お田植祭_手向山八幡宮

(2015.2.3)(奈良市)



[お田植祭4_手向山八幡宮

田主が「福桶」を持って種籾を播きます。
(2015.2.3)(奈良市)



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筒粥祭_登弥神社

古くから伝わる粥占い神事。早朝4時頃から氏子らが集まり準備、神事の後5時過ぎから米と小豆を釜で煮ます。この時竹筒の束も一緒に煮ます。竹筒の中にご飯粒、小豆がどのくらい入っているかで今年の農作物の出来を占います。
釜に刻まれた年号などから300年以上続けられているとのことですが、起源などは定かでないとのこと。



[筒粥祭1_登弥神社]

(2015.2.1)(大和郡山市)



[筒粥祭2_登弥神社

竹筒は37本あり、割った竹の中を検分して米、小豆の入り具合で37種の作物の出来不出来を占います。それぞれに「上上」「中上」「下中」など9段階の豊凶を占っていきます。
(2015.2.1)(大和郡山市)



[筒粥祭3_登弥神社

(2015.2.1)(大和郡山市)



[筒粥祭4_登弥神社

占った割竹は公開され、その結果は掲示板に書き込まれていきます。
古老いわく、「下」が出たからと云って悲観するのではなく、そういえば最近台風被害がないが今年あたりはその対策もしておかないといけないな、というような注意喚起であり、「上」が出たからと云ってぬか喜びするのではなく、今年はほんとに豊作になるように、水やりや肥料などにより一層気をつけて育てるのやで、という教えだと。
(2015.2.1)(大和郡山市)



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