近撮_2012.1
このページには最近作を月ごとに撮影順に区分なしで掲示し、
掲載後に順次、「風景」「行事・祭」「花ごよみ」「桜」「鹿」などに区分して掲示します。
(取り急ぎにつき、ラージサイズにならないもの、コメントの無いものもありますが順次追加します)
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オコナイ_北今西

「オコナイ」はおおよそ新年1月から3月ごろに行われる宗教民俗行事で、近畿、北陸、東海地方に多く行われているようです。その意味するところ、行事の内容など様々で、一概に説明のつかないほど多様なものです。おおかたは、村落の平穏、五穀豊穣祈願を願うもので、あわせて青年の大人入りや元服を祝うことが多いようです。修正会、修二会などの中で行われることも多く見られます。
北今西のオコナイは作法をはじめ、荘厳や供物などに特徴があり、宗教儀式としても興味つきないものがあります。
天正時代より伝承されています。県指定無形民俗文化材。
2010年分とあわせてご覧ください。


[カズラ切り_オコナイ_北今西]

阿弥陀堂で行われる多様なオコナイ行事の中でも、般若心経の途中から始まる青年達による「カズラ切り」は他には例を見ないものです。堂内の貫(ヌキ)に吊り下げた輪状のカズラに丸太を通しワッショワッショのかけ声も勇ましくぐるぐる回ってねじ切りにかかります。以前はふたつのカズラ切りを青年、中老組に分かれて競ったそうですが、今では青年たちによるひとつだけになっています。
(2012.1.2)(野迫川村)


[牛玉宝印_オコナイ_北今西]

(2012.1.2)(野迫川村)


[そよな_オコナイ_北今西]

(2012.1.2)(野迫川村)


[粟餅の競り_オコナイ_北今西

(2012.1.2)(野迫川村)


[かけ餅_オコナイ_北今西]

(2012.1.2)(野迫川村)

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河合の弓引き行事_景徳寺

年初の薬師堂会式(八日薬師)の際に行われる弓引き行事。弓矢祭、弓打ちとも呼ばれる。
平家一族の往時を偲び武備を怠らなかったなどという謂われがあり、弓矢の鍛錬は徳川政府を慮って薬師の祭日である八日の儀式に名を変えて正月中の最重要行事として、伝承され今日に至っていると景徳寺寺伝に伝わる。弓の作法も極めて古い型を保つもので、的の作り方ひとつにもしても古俗を伝え、民俗的にも貴重なものである。
県指定無形民俗文化材。
2010年分と併せてご覧ください。



[弓引き1_景徳寺_河合]

弓の引き手は4人からなり、禰宜(ネギ)と呼ばれる1年目の少年を真ん中に、上殿(カミドノ)、下殿(シモドノ)と呼ばれる2.3年目の少年の三人が弓引きを行います。古式にのっとり40メートルほど先の的に放ちます。
(2012.1.8)(上北山村)


[弓引き2_景徳寺_河合]

(2012.1.8)(上北山村)


[的場の祈祷_景徳寺_河合]

弓打ちの前に景徳寺の住職により祈祷が行われる。読経のあと、小さな梅の矢で正面左右と三方に6本の弓を射る。前日に的組み(的踏みともいわれる)が行われます。薄く剥いだ杉材を網代に組んで直径約1.5メートルの的を作る。これに柳を焼いて砕いた炭で三重の円を描き、縁をタク(楮)の皮でかがる。弓が的に命中すると、黒い煙状の粉が舞い上がります。
(2012.1.8)(上北山村)


[水垢離_小橡川_河合]

未明(朝5時)に射手4人(ネギ、カミドノ、シモドノ、ユリカエシ)とネンニョと呼ばれる頭屋(今年は代理の娘婿さん)が八坂神社下の北山川に流れ込む小橡川に入って水垢離(ミズゴリ)を行います。厳寒の中素っ裸で入り合掌して禊ぎをします。禊ぎを終えて戻る一行。
(2012.1.8)(上北山村)


[矢立ちの宴_河合]

水垢離を終えて頭屋に帰ると熱いぜんざいをいただき、そののち場所を変えて、頭屋が関係者(村のほとんどの家)を招き、「ヤダチ(矢立ち)の宴」が行われます。この宴では射手の子供4人が正客で大人が接待をされます。宴で歌われる唄は村に伝わる「ヨイサー節」と決まっていて(歌詞はアドリブもあり)、順番に指名された人が歌い継いでいきます。その度にチョコ10〜20杯ぐらいのお酒を飲まされます。(もちろん成年のみ)
(2012.1.8)(上北山村)


[御供蒔き_薬師堂_河合]

薬師堂で御供蒔き、
(2012.1.8)(上北山村)


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的打ち_桃香野八幡神社

八幡神社のオトナ衆を中心に地区の安全、五穀豊穣を祈願する的打ちが行われます。



[的打ち1_桃香野八幡神社]
的場は神社から40メートル程離れた鳥居の下方、月ヶ瀬湖を眼下にしたところにあります。神事の後、神主により天、地、北、南、東、西、的へと的打ちがおこなわれます。
(2012.1.22)(奈良市月ヶ瀬)


[直会_的打ち_桃香野八幡神社]
神事の後の直会もここで行われ、オトナ衆ら参列者に御神酒がふるまわれます。
(2012.1.22)(奈良市月ヶ瀬)


[的打ち2_桃香野八幡神社]
この日は新成人を祝い若者による弓打ちも行われます。はるか下方の的場に向かって矢を放ちます。なかなか命中しないのをオトナ衆らが励まし冷やかししながら見守っておられます。
(2012.1.22)(奈良市月ヶ瀬)

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弓始式_奈良豆比古神社
1

奈良大和には弓矢祭、弓打ち、弓始めなど弓矢を使う行事が多く見られます。いずれも悪魔払い、五穀豊穣、無病息災などを祈るものであります。奈良豆比古神社の弓始めは700年以上の伝統があります。祈祷の後、神主が拝殿の四隅から柳で作った弓で矢を射ます。この日は宮座の新年の会でもあり、宮座の約100人による直会が行われ、あわせて、一老、二老、三老と呼ばれる長老を前に今年に初老、中老になられた方の紹介があり、続いて長老方はじめ一同の長寿を祈り「尉と姥(じょうとうば)献上」が行われます。
2011年のもあわせて御覧ください。



[弓始式_奈良豆比古神社]
(2012.1.22)(奈良市)

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繞道祭_大神神社

新年の明けとともに行われる大神神社の繞道祭(にょうどうさい)。「ご神火まつり」とも称され、年初第一番に斎行される神事です。ご神火を3本の大松明に移し、氏子の若者がかつぎ、山麓に鎮座する摂末社18社の巡拝をかけ声と太鼓を響かせ走り回ります。
(2012.1.1)(桜井市)
2008年のもあわせて御覧ください。



[御神火1_繞道祭_大神神社]
本殿三鳥居の奥で採火された松明を神官が運び出します
(2012.1.1)(桜井市)


[御神火2_繞道祭_大神神社]
(2012.1.1)(桜井市)

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トンド_大輪田・城内

地元の河合町でも昔は各地区でトンドが行われていたそうです。現在は佐味田、薬井で行われているぐらいでしょうか。大輪田・城内地区でも数十年ぶりに復活されました。
佐味田のトンド(2004年)のもあわせて御覧ください。



[トンド1_大輪田・城内]
総代さんが初めに今年の恵方(北北西)から点火されます。
(2012.1.15)(河合町)


[トンド2_大輪田・城内]
(2012.1.15)(河合町)

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おんだ_平尾水分神社

平尾水分神社のおんだ祭りは古式ゆかしく夜の境内で行われます。苗代作りから田植えに至る一連の作業をこと細かに演じられます。またその語りは江戸時代頃からの古い言葉で伝えられています。主役は大当と小当と呼ばれる一年交代の神主ですが、早乙女役は少年が演じ、「ショトメさん」と呼ばれています。机の裏に「延宝四年」(1676)との墨書きがありますから随分古くからのお祭りのようです。
県の無形民俗文化財。
2007年のもあわせて御覧ください。



[苗代角打之事_平尾水分神社]
詳細は割愛しますが、大当の「おんだ祭台詞」に始まり「鍬初之事」「掛初之事」「苗代角打之事」「苗代しめる事」「水入る事」「水戸祭之事」「福の種を撒事」「一番子の間に苧つむぐ事」「二番子の間に春田打事」「苗取之事」「御田植之事」「追苗取之事」と古式に則り一連の農作業を演じられます。
この場面は「苗代角打之事」で「一の国からこんだ打つ おのこが打ちやはじめよし 所よしようし」と鍬を打ち、氏子たちが「よしようし 所よしようし」と囃子を入れています。
(2012.1.18)(宇陀市大宇陀区)


[苗代しめる事_平尾水分神社]
この場面では鍬を横たえ「吉事(よいこと)はこの当所へしっとしっとしっと 悪いことは西の海へずう」と唱えながら扇子で叩きながら横へ滑らせていきます。
(2012.1.18)(宇陀市大宇陀区)


[御田植之事_平尾水分神社]
大当さんを先頭にショトメさんらが田植え唄を唄いながら舞台を回っているところ。その所作や語りが特徴的。
(2012.1.18)(宇陀市大宇陀区)


[若宮さん_平尾水分神社]
一連の田植え作業の真ん中あたりの間炊(一服お休み)の頃に、「若宮さん」と呼ばれる黒い翁面の人形が登場します。人形にはたくさんのこよりが巻かれており、このこよりを参拝者の患部に当てれば直るというまじないとして与えられます。呪医的な役割ではないかと言われています。患部だけでなく子供さんの頭が良くなりますようにと願っておられる親御さんもおられます。
(2012.1.18)(宇陀市大宇陀区)


[ショトメ1_平尾水分神社]
早乙女は「ショトメさん」と言われています。小学生の男の子が演じてきましたが現在は少子化で子供も少なくなり幼児や女の子も勤めています。
(2012.1.18)(宇陀市大宇陀区)


[ショトメ2_平尾水分神社]
手に持っているのは萱の茎に榊を挟んだもので、苗に見立ててあります。
(2012.1.18)(宇陀市大宇陀区)


[ショトメ3_平尾水分神社]
ショトメさんは神聖視され、控えの座敷から舞台までの行き来にも地面に降りないように、爺さんたちが背負って運びます。
(2012.1.18)(宇陀市大宇陀区)

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弓祝式_東川

その昔、この地に悪魔が徘徊しだした時、弓の名人・東弥惣(ひがしやそう)は「白山大権現」の神力にすがり、その悪魔を弓矢で退治した。喜ぶ村人に、弥惣は「悪魔は山の主である。今後村に祟りをもたらすかもしれない。毎年正月9日を祭り日とし、悪魔降伏を行え」と告げました。以降1月9日に弥惣の追善とともに、弓打ちの神事を行うようになった。1000年以上も続く伝統行事。
2010年2011年のもあわせて御覧ください。



[神事_弓祝式_烏川神社]
弓打ちの前の神事。
(2012.1.9)(川上村)


[弓打ち_弓祝式_運川寺]
3人の射手が東川(うのがわ)の運川(うんせん)寺から谷川を挟んで40mの烏川(からすがわ)神社境内に立てられた的に向かって射ます。右は当たって拍手されている場面。
(2012.1.9)(川上村)


[まじない_弓祝式_運川寺]
弓打ちの途中で、弓が当たりますようにとの「おまじない」をされます。小さな砂場に三本の線を描きお米と小豆を撒き、梅の枝のお箸を並べて弓の弦をくぐらせて入れ替えていきます。
(2012.1.9)(川上村)


[鬼打ち1_弓祝式_烏川神社]
弓打ちの後、烏川神社に設えてあった的場に行き、白装束の村神主が古式にのっとり、桑弓、蓬矢で東西南北天地を射、最後に鬼と書いた的(弓打ちの的の裏)を射ます。
(2012.1.9)(川上村)


[鬼打ち2_弓祝式_烏川神社]
最後に鬼的と対峙し鬼に引導をわたすような台詞を述べ、やがて的を持ち上げ「千破美(ちわみ)の踊り」を舞います。最後に小刀でとどめの一撃を加えます。
(伝承では千破美の踊りは鬼を倒した喜びを表すともありますが、今は鬼を倒す所作として踊られています)(2012.1.9)(川上村)

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左義長_信貴山

お正月の注連飾りなどを燃やすトンドは左義長とも呼ばれ、6日〜小正月(1/15)前後に各地で行われます。信貴山では全山の僧侶の読経の中、大トンドが行われます。



[左義長1_信貴山]
古い御札や正月飾りが山と積まれ、竹で囲い高さは6メートルぐらい。トンドの上の方に、藁で編んだ龍が巻かれています。長さ58尺とのこと。頭は恵方に向いています。燃え上がる火の中の龍には凄さもあります。なかなかリアルで迫力もあります。目はミカンで少しおかしみもありますが、龍ということで、霊験あらたかな感じがします。
(2012.1.14)(平群町)


[左義長2_信貴山]
(2012.1.14)(平群町)


[左義長3_信貴山]
(2012.1.14)(平群町)

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