お城の用語ミニ解説
櫓の巻
櫓 
(やぐら)
「櫓」の語源は、「矢」等の武器を納めておく蔵である。古くは、「矢倉」・「矢蔵」とも書いた。この「くら」の意味は、「座」(くら)のことで、高所に設けられた場所を示している。初期の「櫓」の目的は、見張り台でもあり、そこから敵に向って矢を射るのである。それが近世に入って「櫓」と表記されるようになった。「楼」(やぐら)も同じ意味といえる。
「櫓」には、城門の上に設けられるものと、塁上に設けられるものとがある。門の上にのものを「櫓門」とよぶ。
塁上のものは、「隅櫓」と総称されるが、その種類は多かった。
櫓の形は、通常長方形である。4間(約7.2m)×6間(約10.8m)・8間(約14.4m)×6間くらいの大きさが一般的とされている。
隅櫓
(すみやぐら
曲輪(くるわ)の隅にある櫓のこと。
隅櫓は大体2層だが3層のものもある。3層櫓のなかには、天守の代わりをしているものがあった。
「水戸城」・「高田城」・「弘前城」・「盛岡城」などである。
また、櫓の名称は、天守の位置からみて、東西南北や良(うしとら)「北東」・巽(たつみ)「南東」・坤(ひつじさる)「南西」・乾(いぬい)「北西」など、包囲の名が付けられることが多い。
重箱櫓
(じゅうばこやぐら)
2階層だが、上部と下部の広さが同じ櫓である。
重箱箱のような形状から名づけられた。1層の屋根は庇になっている。城の櫓としては珍しい形で、「江戸城本丸御書院門前」にあつた。
多聞櫓
(たもんやぐら)
塁上に築く、細長い長屋形式の櫓のことである。
名の起源は、戦国時代に松永久秀が、その居城
「多聞城」で始めて築いたので、その名をとったのだといわれている。
平時は、武器倉庫として使用し、戦時にはこの櫓に拠って戦った。倉庫と堀とを兼用したものといえる。
通常は単層だが、櫓から展望俯射(ふしゃ)出来るように重層にしたものもあった。どの層にも、矢や弾丸を放つための狭間が切られている。
渡櫓
(わたりやぐら)
櫓と櫓との間に、連絡用に造られた多聞櫓のこと。
一般には単層だが、
「岡山城」・「姫路城」「松本城」・「高知城」などでは重層になっている。
菱櫓
(ひしやぐら)
菱形櫓の略
塁角が直角でない場合、塁上の櫓も当然変形し、角が菱形となる。そのような、変形した櫓のことをよぶ。
着到櫓
(ちゃくとうやぐら)
虎口(こぐち)(城の出入口)を見張るために設けられた櫓。通常虎口の左右どちらかに設けられる。
言葉の起源は、出陣前にし集合した兵の到着を確かめ、入城者を記帳したところからきている。
「金沢城」石川門枡形内にある隅櫓や「仙台城大手門隅櫓が着到櫓である。
「岩村城」では、すべての城門にひとつひとつ着到門が設けられていた。
着見櫓
(つきみやぐら)
着到櫓を着見櫓と呼んでいる場合が多い。
「高松城」・「福岡城」に現存する。高松城の場合、隣接する水の手門の着到櫓であつた。
太鼓櫓
(たいこやぐら)
多くの城に造られ、太鼓が常備されていて、それを打って登城の合図としたり、陣太鼓の役目をする。
「土浦城」・「彦根城」「伊予松山城等に現存し、「松江城」・「広島城「高遠城」に復元されている。「津山城」・「高知城」・「犬山城・「小浜城」にもあった。
太鼓櫓をもたない城では、鐘楼がその役目をしていた。
物見櫓
(ものみやぐら)
城内外の状況を望むのに、眺望の特によい櫓のこと。
城内でも高台に設けられた。
井戸櫓
(いどやぐら)
井戸や、井戸曲輪を守るための櫓。井戸曲輪とともに、山城に多く見受けられる。
水の手櫓
(みずのてやぐら)
河川や沼に土台を置き、その上に井楼形式の櫓をのせたもの。
下から水を汲み上げるためのものである。
「高天神城」・「福山城」にあった。
水櫓
(みずやぐら)
水の手櫓の略称の場合と、防火設備のある櫓をいう場合がある。
城郭は木造なので火を恐れた。そこで呪いの意味で、防火設備がなくても、名のみ水櫓としたものもある。
台所櫓
(だいどころやぐら)
築城時に、兵に食事を作る目的で築かれた櫓のことであ。。
調理設備が整えられている。籠城する場合にこの櫓だけが独立して長期間維持出来るためのものであり、だいたい天守付近に付随して築かれた。
「姫路城」・「岡山城」等が好例である。又「広島城」・「大洲城などは、小天守を台所櫓としていた。
「名古屋城」では天守の内部に台所が置かれている。
近世になり、籠城することがなくなると、台所は天守から切り離されるようになった
。「江戸城」・「熊本城」などにその例が見られる。
月見櫓
(つきみやぐら)
元来城郭とは、戦闘が目的の構造である。しかし大阪の夏の陣が終わり、平和な時代に入ると、城の戦闘場面よりも美観を重んじるように変化した。そこで、風流を目的とする曲輪や建物も出てきた。
月見櫓はその名の通り、月見の宴に利用するものである。
「松本城」・「岡山城」に現存し、「福山城」に復元されている。
「岡山城」の月見櫓は形状が面白く、二重2階、地下1階であるが、城外から見ると二重櫓で、武者窓が付き厳しいが、城内からは望楼式の三重で優雅な姿にみえる。
富士見櫓
(ふじみやぐら)
関東地方の城に多い。城内で一番よく富士山が見える位置にある櫓のこと。
「江戸城」の富士見櫓は特に有名である。「川越城」の富士見櫓は三重で、天守の役目をなしている。
涼み櫓
(すずみやぐら)
名前の通り、風通しのよい櫓のことである。通常望楼式になっている。
伏見櫓
(ふしみやぐら)
豊臣秀吉が築城した旧「伏見城」を解体したとき、多くの建物が全国の城や寺社に移築された。その時、城に移築されたものを特に伏見櫓という。
「淀城」に幕末まで、第2次大戦前までは「大阪城」にもあった。
「福山城」には現存し、「江戸城」にもあるが、のちに建てかえれており、「伏見城」当時のものはない。
戦災で焼失した「大阪城」の伏見櫓は三重の堂々たるもので一般大名の天守にも匹敵する姿であったといわれている。
八方正面櫓
(はっぽうしようめんやぐら)
「江戸城」本丸富士見櫓のこと。
太田道灌が城主の時代に造られれ、名づけられた。裏表のない櫓で、どこから見ても正面のようにみえる。独立した天守のようなものである。
形や位置もよく、天守としても見栄えがした。1657年(明暦)の大火で天守が焼失してからは、
「江戸城」では富士見櫓を天守のように見做していた。
千貫櫓
(せんがんやぐら)
「大阪城」にある櫓。
「大阪城」築城前の石山本願寺時代、横矢のきく櫓がこの付近にあった。織田信長が本願寺を攻めた時、ここからの攻撃を受けて、被害が甚大だったので「もしあの櫓が買えるなら、千貫出してもよい」といったことから名付けられたという。
化粧櫓
(けしょうやぐら)
「姫路城」にある。
千姫が移ってきた時に設けられた曲輪の櫓。彼女の輿入れには10万石の化粧料がついていたので、それで櫓が造られた
 
青色のお城名をクリックするとお城のページが開きます。
日本地図へ