お城の用語ミニ解説
  
天守の巻
天守
(てんしゅ)
城中最大の櫓を指す。外観は3層・五層が多いい。
「天守」・「殿守」・「殿主」等とも書く。江戸時代には、「天守櫓」ともいったが、明治になると「天主閣」と一般によばれるようになった。
現在、近世までに造られた天守が現存する城は、
「弘前城」・「丸岡城」・松本城」「犬山城」「彦根城」「姫路城備中松山城」「松江城」「丸亀城」・「宇和島城「伊予松山城・「高知城」の12城である。
複合天守 
  (ふくごうてんしゅ)
天守が、小天守や他の建物をともなっているもの。
「松山城「岡山城」・「福山城」・「松本城」等が複合天守といえる。
連結天守 
(れんけつてんしゅ)
独立した大小ふたつの天守を連結した形式。
「名古屋城が連結天守である。
連立天守  (れんりつてんしゅ) 天守が、2基以上の小天守と並び立っているもの。
多くの天守が集まって大規模な天守群を形成している。
天守がもっとも発達した複雑な形である。
「姫路城」「和歌山城」「伊予松山城」等が代表的である。
独立天守
(どくりつてんしゅ)
天守のみが、ほかの建物と分離し、独立している形式。
「宇和島城」・「丸岡城」・「備中松山城」「丸亀城」「松前城」・「犬山城」
などである。
望楼型天守
(ぼうろうがたてんしゅ)
天守の建築構造は、「望楼型」と「層塔型」に大別できる。
望楼型とは、下層の建物上に望楼となる小建物をのせた様式のこと。下層建物と上層望楼が、建築構造としては一貫性に乏しい。
天守構造は、望楼型から層塔型へと進展した。関ヶ原合戦までを望楼型前期、関ヶ原から大阪の陣までを同公記と分けられる。同公記は層塔型前期でもある。
望楼前期の令として
「安土城」・「豊臣大坂城」・「名護屋城」・「広島城」等
同後期例は、
「彦根城」・「松江城」・「姫路城」等である。
層塔型天守
(そうとうがたてんしゅ)
層塔型は、下層から上層まで、デザインに一貫性がある。多重塔をみるような外容と構造を持つ。
関ヶ原から大阪の陣までが前期であり、元和から寛永年間(1615〜1644)にかけてが後期、層塔型の熟成期となる。
前期型として
「名古屋城小倉城等、後期例に、「徳川大坂城「福山城」・「江戸城」「二条城」゜松前城」
「弘前城」
などがある。
小天守
(しょうてんしゅ)
天守は、城中最大の高層建築であるが、単独で建っている場合、「独立式」とか「単立式」とよばれる。
天守にほかの櫓が密着している場合は、その櫓を「付櫓」という。すこし離れて、渡櫓などで結ばれて、天守と一体となっているものが小天守である。
御三階櫓
(おさんかいやぐら)
3層階のことである。櫓は、屋根数と内部床面の数とは必ずしも一致しない。
3層4階等というものもある。通常の天守は、外観3層が一般的であった。
しかし、実質的には天守であっても、
「越後高田城」・「弘前城」などのように幕府をはばかって、「御三階」とよぶことも多かった。
望楼
(ぼうろう)
天守や櫓の最上層の物見。望楼を備えた天守には、入母屋造りの屋根の上に物見台を載せた望楼型天守と、上・下層の建物が一体化した層塔型天守がある。
望楼型天守には
「犬山城」・「彦根城・「高知城」・「伊予松山城」・「丸岡城」
層塔型天守には
「松本城」・「丸亀城」・「姫路城」「宇和島城」・「備中松山城」「名古屋城」がある。
物見の段
(ものみのだん)
天守の最上層のこと。展望する階層の意味である。他の階は、外部からの矢弾襲来に備え、窓や狭間をなるべく小さくしている。
しかし最上層は、逆に解放的であり、城内外を展望したうえで、指令を発するところだからといえよう。

(しゃちほこ)
近世城郭の天守など、建物屋根のもっとも高いところの両端に付けた魚形の造形物。
当初は、インドから寺院の棟飾りとして伝わったという。
城においては、鯱も単なる装飾ではなく、災難除け、火災除けの進攻を伴って登場し、呪い(まじない)の意味ももってい。それが次第に天守、城郭の象徴へと変化していった。有名なのは
「名古屋城の金の鯱鉾である。
石蔵
(いしくら)
初期の天守築造では、天守台の中に地下室をつくって、出入口を設けた例がある。
この地下室を石蔵とよんだ。
「安土城」「会津若松城等にみられる。
天守台
(てんしゅだい)
天守の建物を載せる基壇のこと。
山城では、自然の岩盤をそのまま利用した例として
「苗木城もあるが、通常は石垣で台を設けその上に建築する。
天守台の形は
「安土城等山城では、地形に従って不等辺多角形だか、築城形式が山城から平山城に推移に従い、石垣を積む技術が進歩し、四角形に近くなっていく。
日本地図へ