お城の用語ミニ解説
平城
(ひらじょう)
平地に築かれた城郭。水利との関係が重視され、築城にあたっては、城下町プランも含んでいる。軍事・政治・経済の拠点として、築港なども伴った。
本格的な平城としては、豊臣秀吉による
「大坂城」が創始である。
近代大名の居城として
「松本城「名古屋城」「大垣城」「赤穂城」「二条城」「広島城」「津城」などが平城の典型といえる。
山城
(やまじろ)
山の地形を利用し、独立した山または山脈の一部に築かれた城である。
山岳城郭が全国的に見られるようになったのは、南北朝の争乱期。籠城戦用として山に城が築かれるようになった。
室町時代になると、比高(麓からの高さ)100〜200m級の山城が、守護の居城として一般化し始める。
戦国時代になると、居城はますます大規模になった。家臣集団を集中機銃させる大山城も築かれ、日常生活に必要な物資を用立てるために、城下町も出現した。
織田信長の
「岐阜城「安土城」は、多数の家臣団屋敷を曲輪ごとに配した典型的な大山城である。
江戸時代まで、天守や櫓などの建物が整備されていた唯一の戦国山城が、
「備中松山城といえる。城下町は以後の臥牛山(がぎゅうざん)山頂には、今も二重の天守がそびえている。
その他「山中城」「高取城」「小谷城」「岩国城」・「岡城」・「津和野城等がある。
平山城 
(ひらやまじろ)
山城は戦闘面では強いが、領国支配をおこなう政庁として、また居住性という点で不便であった。
そこで戦国期には、丘陵の上部を利用する平山城が築城される。
山地と平地、両方の地勢を利用した城である。城下町に集まった領民に対し、権力誇示のために豪壮にして華美な城が造られた。
「岡山城」・「姫路城」・「熊本城等安土・桃山時代に創設された城には平山城が多い。
その他
「犬山城」「彦根城」「伊賀上野城「和歌山城」・「徳島城」・「大洲城」・「宇和島城」等がある。
丘城
(おかじろ)
丘陵城郭の略称。
平山城のうち丘陵上を城地としたものを丘城とも呼んだ。
主に戦国末期の支城クラスの城にみられ
、「武蔵滝山城」・「下野佐野城」などがこれにあたる。
麓城
(ふもとじろ)
(里城)
戦争状態が続く戦国時代には、豪族たちは山上の城郭に籠って敵の来襲に備えた。
しかし、それでは不便このうえもなく、それほど危険が迫っていないときには、山麓の居館に住むようになる。その居館を麓城や里城と称した。
水城
海城
河川や湖、沼や湿地帯、海などを利用して縄張(設計)された城のこと。
地方の水軍に便利なうえに、水の要害でもある。敵が侵入をしようとしても、容易ではない。
海を利用したものは、海城ともいう。水城には浮城の別名をもった城が多い。
港湾を城郭の内側に取り入れ、堀を湖沼で代用したり、海水で満たすものである。
水城の代表的なものは、
「高島城「高松城」「今治城・「中津城」・「三原城」が典型な城である。
毛利氏の本城萩城は山城ながら水城ともいわれる。
又、水城(みずき)というものがあるが、これは、山と山との間に低地を横断して堤を築き、そこに水を蓄えて敵軍を阻止しようとするもの。
大宰府の北の防備として、福岡県筑紫郡大野町に築かれている。古代の城の一種である。
浮城
(うきしろ)
自然の川や海ばかりではなく、人工の堀に囲まれた城のことをもいう。
城が、幾重にも設けた人工の堀に囲まれて、人造湖に浮かんだようにみえるところから名づけられたもの。
ふけ城 ふけ池(湿地帯)の要害として築いた城。城の周囲にふけ池があると、要害として有利であった。
「名古屋城」は、城の北側に低湿地帯があり、それを要害として築造されているので、ふけ城とも呼ばれている。
また同城の曲輪に「御深井丸(おふけまる)」がある。ふけ池に近い曲輪のことである。
沼城 沼を要害として、後堅固に築いた城のこと。
島城
(しまじょう)
島そのものや、島同然の半島を城地しとしている城。
村上水軍の
「来島城」・「能島城(のじまじょう)」・三浦氏が籠った「相模新井城」などがある。
海賊城
(かいぞくじょう)
平安末期より、水軍の根拠地となった城。
海賊とは、水軍のことであり、港湾の監視が目的で、港の出入口付近の丘陵上に築かれた。
瀬戸内海では、小さな島全体が、海路を監視していた城もある。来島、能島などであ。
松浦水軍の
「松浦城」・北条水軍の「三崎城」・「浦賀城」九鬼水郡軍の「鳥羽城」などもこれに属する。
能島は村上水軍の根拠地で、周囲を急潮が流れている。その狭い水路で城が関所の役割を果たし、通行する船から関銭をとった。
本城
(ほんじょう)
2つの意味があります。
1は、幾つかの城群、支城、枝城、端城に対して、中心となる城のこと。
この城は、大将・主将の居城でもある。支城や砦と異なるところは、必ず城主がいることといえる。
2には、城での中心曲輪、「本丸」のこと。江戸城では、本丸と付属する諸曲輪を総称して「本城」とよんでいた。
根城
(ねじろ)
中世の用語で「ねじょう」とも読みます。根本の城の意味で、領国内に多くの城があり、全体で統一をなす場合、その中心の城のこと。本城と同意語である。
根城のあて字で「子城」と書くことがある。「ねじろ」と読むが、「ねじょう」と読むときは、二重あるいは三重ある城郭の中心曲輪をさしている。
太田道灌時代の江戸城に、「子城」と呼ばれている箇所があった。本丸を意味するものと思われる。
支城
(しじょう)
多くの城が、同一活動をする場合、中心となる城に従い、補助的な活動をする白のこと。
本城を支えるため、一定の地域に設けられた。
通常は、出城、砦、陣屋などと呼ばれる。
近世において、江戸城が天下全体の支配力をもつ幕府の本拠である「本城」とすると、全国各地の諸藩の城が「支城」ということになる。
各藩に置き換えると、藩主の居城に対して、領内の陣屋が支城的性格をもつ。
枝城
(えだじろ)
支城と同じ意味の城。本城を根城と言うのに対し、支城を枝城、又は「出城」ともよぶ。
端城
(はじろ)
本城に付属した小規模な城のこと。
支城、枝城と同意義。地域によって、「端城」とよばれる。
「福岡城城」には領国内に6つの端城があった。「若松城」・「黒崎城」・「鷹取山城」・「益富城」・「小石原城」・「麻低良城」である。6城とも、元和の一国一城令で廃城となった。
繋ぎの城
(つなぎ)
ふたつの重要な地点、例えば本城と支城との間、中間において、両者の連絡を保つ役目の城。
前線への兵站地ともなり、移動する兵の休憩地ともなった。「伝えの城」も同意義である。
本城と支城との距離があったり、事情があってふたつ以上繋ぎの城を置く場合は、繋ぎの城の中心となる城を定めた。それを「繋ぎの根城」と呼んでいる。
砦・取手
(とりで)
本城付近や、領内の要所に築かれた比較的小さい城のこと。
だいたい根城から3里〜6里(約12〜20km)ぐらいの間隔でもうけられた。敵が侵入して来た場合は、そこでひと防ぎするためである。
又敵の領地内を占領した場合、見方からは張り出した城であるというので「取手」といった。
そり規模は、単郭がふたつ程度、周囲には土塁と堀ぐらいの防御施設があるにすぎない。虎口はひとつ、少人数で守りやすいように工夫されている。

(さい)
敵の侵入を防ぐという意味をもつ要害のこと。
だいたい国境に設けられるので、「塞」の字は国境という意味もあつた。
境目の城
(さかいめのしろ)
国境守備の目的で設けられた城。
相模北条氏が、境目の城にあたる
「浜居場城」あてに出した「掟書」が残されている。
内容は、草木や鳥獣を獲るな、綺麗にせよ、火の用心、賭博の禁止などである。
国境に詰めた兵士達の城中の生活がうかがえて興味深い。
番城
(ばんじろ)
支城がいくつかある場合、、家臣を封ぜず直轄領として、交替で侍大将などを派遣して守備させる城のこと。
領内での境目の城、適地内では占領した城などである。
また、江戸時代、
「駿府城」・「甲府城」は一時城番のいる番城であった。江戸城の支城ということであろう。
狼煙台
(のろしだい)
城郭ではないが、急を告げる通信として狼煙を使った場所。城の分身ともいえる施設。
多くは、街道に沿って2〜3里(8〜12km)の距離で見通しのよい峰上に築かれた。
そこには、簡単な塁を設け、守護する番士の住居と、燃料貯蔵所などを置く。
越後上杉氏の
「春日山城」からの連絡網が有名。他に甲斐武田氏・相模北条氏にもその設備かあった。
通信は、昼間は火薬を打上げて煙を、夜間には火を焚いて合図する。古代には狼の糞を焚いたので、煙ことを「狼煙」(のろし)と表示するようになった。
色彩によって、数十種類の通信が可能であるという。武田家では100ヶ所以上設けられていた。後世になって、城山などと呼ばれている。
対の城
(たいのしろ)
敵の城を攻めるにあたり、攻撃の軍の拠点として築いた城。
敵を監視し、周辺を制圧する目的で設けられていた。
向い城
(むかいのしろ)
敵の城が容易に落としがたい場合、敵城の向かいに設けられる城のことである。
対の城のうちで、寄せ手の大将が駐留する城をも指した。一般の付城よりは念入りに築造される。
小田原城攻めの際に、豊臣秀吉が築いた
「石垣山城」は、対の城でもあり、向い城ともいえる。
付城
(つけじろ)
敵城を攻めるにあたり、攻撃軍の拠点として築いた小城、支城でもある。
「対の城」よりは少し小さいものを付城と呼んだ。1〜2郭ぐらいの規模で、土塁、堀が設けられる。
敵の戦力が強かったり、敵城が要害堅固であった場合に築かれた。
城主としては、侍大将クラスが置かれる。
陣城
(じんじろ)
戦国時代には、城攻めも大規模になった。
長陣とよばれる包囲戦が盛んになる。攻撃軍が、攻めるに都合のよい場合に臨時的に築城するするものを陣城と呼んだ。簡単なものは、攻城時柵を巡らしたものから、大規模なものでは、豊臣秀吉が朝鮮に出兵するために肥前(佐賀県)に築いた「名護屋城」まである。
特に秀吉は陣城を多く築いている。「三木城」攻めには平井山に、「鳥取城」攻めには太閤ヶ平山頂に、備中(岡山県)「高松城」には竜王山に、「小田原城」攻めでは石垣山などに築いた。
陣城は通常、戦いが終了すると廃城とされた。
足城
(あしじろ)
一揆などが挙兵の際、その拠点として臨時に構えた城。簡単に造られている。
掻きあげの城
(かきあげのしろ)
ごく簡単に造られた城。空堀を掘り、土を掻揚げて土塁を築いたもの。
掛城
(かけじろ)
臨時に造られた比較的簡単な城。
堀の土を掛けあげて、小屋をかけたように臨時的に築城された城である。
掻揚げの城と同意語ではないが、通常は、砦、足場、営等と呼ばれることが多い。

(やかた)
中世において、豪族・貴族・貴人の屋敷や宿所をいう。
とくに領主や上層武士の居館を指すことが多い。
古くは「たち」または「たて」と呼ばれたが、鎌倉時代には「やかた」の呼称が用いられた。同じ「やかた」でも、南北朝時代以降は「屋形」と書いて、守護クラスの大名の居所をよぶようになった。
中世の武家領主が居住する館は、通常要害の地に設けられる。周囲は堀や土塁で囲む、小さい城である。
戦国時代の館跡として、越前・「一乗谷朝倉氏館跡」や甲斐・「勝沼氏館跡」は、広さ90m×60mの小さな地方豪族の館跡である。
館城 
(やかたじろ)
中世豪族が、館に城郭風の防御設備を施したもの。館のような城という意味。
屋形城
(やかたじろ)
中世の末期ごろ、「屋形」の主人である守護クラスの大名が高級官職をおびると、「お屋形様」とよばれた。すると居館に、公家風の様式を加味するようになり、そうした城のことである。
屋敷城
(やしきじょう)
中世では、屋敷に防御設備を施したものを屋敷城といった。
近世になると、城の使用目的が住居であるものをよんだ。
京都の「聚楽第」・「二条城」がそれにあたる。
根小屋
(ねごや)
戦国時代、山城の麓に置かれた城兵の居住区域や集落のこと。
根子屋、根古屋とも書かれる。主に東日本・関東に多く、西日本の「山下」(さんげ)と対比される。
後北条氏の属城である武蔵の
「八王子城」「松山城」に、根子屋があったことが史料で確認されている。又根子屋の分布は、栃木県内に多く100余を数える。
山下
(さんげ)
中世の後期、西日本、主に中国地方で山城の麓にある武士集落を称した。
宿城
(しゅくじょう)
平城で、武士や商人たちの居住区域を含んだ外郭のこと。
関東地方で使われた中世用語。山城では「根子屋」に相当する。
詰城
(つめのしろ)
最後に籠る一番奥にある城。たいてい敵からは一番遠い山奥か山頂にあった。
近世では、二の丸・三の丸に対して本丸のことを言う。
また、出城に対して、根拠とする根城をいうこともある。
将軍城
(しょうぐんじょう)
将軍の居城のこと。近世では「江戸城」をさしている。
要害
(ようがい)
地勢が険阻で、守るに便利なところ。
中世初期は、平常は平地の居館に住み、戦時は要害の山に籠った。その山のことをいう。
甲斐武田氏の要害山城が好例である。江戸時代には、配下の城を要害とも称した。
陣屋
(じんや)
3つの意味がある。
1は、将兵が宿営する臨時の舎のこと。
2は、近世に、城のない小大名及び交代寄合の屋敷のこと。
3は、幕府の郡代や代官の駐在する役所のこと。
稜堡
(りょうほ)
近世の日本では、平和な時代が続き、築城技術は衰退した。ヨーロッパでは、大砲の急激な発達によって稜堡式城郭が築造されつつあった。
稜(りょう)とは、角のとがった形をいう。稜堡とは、大砲を活用するために作られた堡塁のことであり、日本では函館の
「五稜郭」が代表的である。
台場
(だいば)
台場とは、大砲を置く台のある場所のことで、砲台とも略称される。大砲を発射するために設けられた防塁をもさす。
幕末になると、日本近海に異国船が出没しはじめ、幕府も対外防備の必要性を感じることになる。
そして、軍備に様式砲を採用し稜堡式築城にも着手し、それが台場の構造にも取り入れられた。
台場構造の重点地区として幕府は、函館・江戸湾(東京湾)・摂津海(大阪湾北部)・長崎の4地区を指定した。
海堡
(かいほ)
海上に築かれた要塞のこと。
古くは瀬戸内海の海賊も同じ意義をもつ。
幕末に築かれたものとして、江戸湾品川台場の第1・第2・第3・第6海堡が有名である。
チャシ アイヌ語で、砦・館・柵囲いのことをいう。アイヌ人の築いた居住館のあった場所、環濠集落ではないかと考えられた。
海や湖・沼や川に近い丘陵の先の断崖に堀を掘り、その土を利用して塁が造られている。内部からは貝塚や縦穴も発見され、城の前身である防御施設であろうという説とともに、祭祀霊域説もある。
北海道から、東北北部・千島・樺太に存在している。北海道だけでも、100箇所以上所在する。
蝦夷館
(えぞたて)
東北地方の北部で、中世武士の館とは別に、古代遺跡を含む城塞で「館」(たて)と呼ばれるものがある。
この地方に住む人々は、昔「蝦夷」(えみし)とよばれていた。
近世になり「蝦夷」(えぞ)と訓むようになり、アイヌ族をさすようになる。そのため、東北地方でアイヌ族が築造した城塞も、「チャシ」と呼び変えられた。
しかし、アイヌ族と「えみし」は決して同一の人々ではない。そこで「チャシ」とは別の「蝦夷館」の存在があるといわれるようになった。
グスク 沖縄地方では「城」を「グスク」と訓む。
「グスク」の語源には諸説があって定説はない。
「グ」は石など、「スク」はシキ(磁城)またはソコ(底・塞)のことをさす。ただ、グスク=城ではない。
神を祀る拝所のなかにも「グスク」とよばれているものがあるという。
「グスク」は、北の奄美大島から、南は与那国島にいたる旧琉球王国の領域に分布している。
構え
(かまえ)
本来は城の広い範囲の施設のことである。曲輪・郭と同じ意味になる。
しかし、播磨国では、地方豪族の住む館のことを、「構え」と称した。
現在も兵庫県内には、構えと呼ばれる館跡がいくつか存在している。
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